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2004/11/25
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映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
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2011年09月08日

「劇画の星」をめざして CC

誰も書かなかった〈劇画内幕史〉
佐藤まさあき著

・佐藤まさあきにはそれほど興味もなかったのだけど、勿論、何冊かは読んでいる。既に死んでいた事は知らなかった。本書を読んだのは、「劇画漂流」「劇画バカたち」に佐藤まさあきが登場していて、本書も同時代を扱っていることに興味を持って。実際、前半から中盤まではかなり面白い。前述の漫画がどちらも未完結的に終ってしまっているのに対して、本書は貸本漫画界の終焉までしっかり書いている。ただし、その後の佐藤まさあき自身の盛衰になると、まあ何と申しましょうか・・・という感じ。貸本業界から自らの出版社を興すという過程を経て雑誌業界で大ヒットを飛ばすあたりから、湯水の如く金を使うと金に追いまくられるという奔走の末、韓国人妻(その前に二度の離婚歴有り)と落ち着くあたりまでが描かれている。

・まず僕の興味の対象になる前の少年時代部分。ひどい義兄に育てられて(こき使われて)、この時の屈辱が、後に彼の劇画のテーマである復讐を育てた、という。そんな中でも回覧でなくガリ版印刷による同人誌を編集していた、というのは感心しますが。(ただし、それは回覧のように肉筆ではなく、模写という余計な一段階が入ってしまう。当時の赤本と同じ)

・さて、僕の興味の対象だった日の丸文庫から劇画工房の時代については、1996年に発売された本書は、「劇画バカたち」の後(ただし単行本にはなっていないので著者は未読の可能性有り)、「劇画漂流」の前に書かれている。著者はこの時代の確認の為に、わざわざ辰巳と松本に会っているとのこと。だから全体的な流れは重なっているが、例えば日の丸文庫の合宿のエピソードなどは本人が参加していないこともあるのだろうが、時期がズレていたりする。一方で佐藤まさあきが悪書反対運動のつるしあげを喰ったエピソードなどは、もしかしたらこちらの方が正しいかもしれない。(逆にこちらは佐藤が当事者だから)
・佐藤まさあきは劇画工房の中心ではないが、そんな外周であった彼と桜井昌一(辰巳の兄)が幕引きをすることになる。(関西在住組は無視して、東京で残ったこの二人で清算したという) ちなみに、貸本漫画終焉の直前、佐藤まさあき自身は売れまくっており、この時点で桜井の提案により自分で出版社を作ったことにより、貸本漫画終焉から逃れる事が出来たという。この時、佐藤まさあきは自分で自分の出版社と作り、それとは別に、桜井昌一に彼の出版社を作る資金を無利子で貸したということ。(貸本業界の終焉時、ほとんどの貸本漫画家は雑誌業界に移れる資質は無く失業するが、佐藤は自分で発表の場を確保した為に失業を免れたのだ) 佐藤は成功し、一方桜井は水木しげると心中状態に陥った(ここらは「ゲゲゲの女房」に描かれている)。一度だけ返済の催促をしたが、それこそ引導を渡す事になってしまうので、それ以上の催促はしなかったとのこと。逆に「悪魔くん」と同時期に劇画を一本提供しているという。
・ちなみに桜井昌一とは最後まで親友であり続けるのだが、どうやらこの桜井昌一は様々な火付け人でもあったようで、例えば、さいとうたかをと佐藤まさあきの絶交の噂を広めたのは彼で、実は佐藤まさあき自身は別にさいとうと絶交したつもりはなかった。勝手に桜井が周りに広めたらしい。そして二人の和解の席を取り持ったのも桜井という(和解の場は二人の事務所の中間点ということで松本正彦の家で行われた)。つまり自分で火をつけ、自分で鎮火したというわけ。桜井はそんな人騒がせな男だったという。
・佐藤は辰巳を買っていて、松本は何がいいのか分からなかった(自分とは感覚が合わなかったのだろう)。さいとうたかをは絵はうまかったが構成に難があると思っていた。
・彼もまた表紙をめぐって久呂田まさみには苦労したようである。(事前に辰巳や松本にそれとなく注意はされていたのに)
・当時の東京と大阪の漫画認識の違い。東京に売り込みにいった辰巳に対して「下手糞な絵に、品のない画風、ストーリーみちょっと変わっていてちょっと面白 い」 佐藤自身の売り込みに対しては「アップが多過ぎて手抜き」と思われた。またベタ(黒塗り部分)を編集者に指定された事も驚いた。このあたり、新幹線 開通前の東京と大阪の認識のズレ。

・当時の漫画家事情についても書かれているので拾ってみると。
・日の丸文庫にSF漫画を売り込んで来た男とすれ違ったが、それが後の小松左京で、日の丸文庫はSF嫌いだったので小松の漫画を買わなかったという。ここで日の丸文庫が小松の世話をしていれば、逆に小松左京が日の丸に巻き込まれて(この兄弟にはそれだけの強引さがあった)、その後どうなっていたことか。
・望月あきら(後に「サインはV」で人気漫画家になる)を日の丸文庫に紹介したのは彼。ただし日の丸文庫はその後倒産し(彼も水木と同じで倒産のあおりで原稿を回収出来ずに泣いたという)、望月は改めて少女漫画家としてやり直すことになる。彼の本名は「まさあき」だが、「まさあき」が二人は困るという事で「あきら」がペンネームになった。彼は日の丸文庫に紹介した時、彼の住まいに同居させたが、どこにでも金魚のフンのようについてくるので困った。
・水島新司は日の丸文庫に住み込んでいた。彼は日の丸文庫の新人コンクールの二席に入賞した時、喜んで新潟から出て来てしまったのだ。授賞式など予定していなかったが、出て来てしまった者は仕方ないと日の丸文庫は彼の為に授賞式をしてあげ、社長宅に泊めて翌日は大阪見物に連れて行ってやった。そして大阪に出て来たら日の丸文庫の社員にして漫画の勉強をさせてやると言った事を真に受けて、故郷を一年の期限付きで出て来たのだ。当時、水島は誰にでもおべんちゃらを言い、漫画家達には日の丸のスパイと思われて嫌われていた。しかしここでも桜井が水島の身の上を語って誤解を解く。(当時、桜井の方が日の丸の女子社員と仲良くつき合い、日の丸をスパイしていたらしい) 水島の初期の根性物はその時代の体験を活かしている。
・さいとうたかをと永島慎二の意外なつながり。さいとうたかをのアシスタントが逃げ出して、次に永島のアシスタントになろうと来た時、永島がその了解を求めてさいとうに会いに行き、そこで意気投合して飲み友達になったとのこと。ある時、永島が辰巳や松本達と飲んでいた時、ヤクザと喧嘩になった。その時、永島がはったりで「◯◯組のもんだ」と啖呵を切ったら、相手も「自分たちも◯◯組だ」と言われて永島がビビッた時に、その場を収めたのもサイト宇高をだったという。さいとうが眼鏡を取って睨むと、相当怖いらしい。
・佐藤がノイローゼ気味になって幽霊を見るようになった時、みんな幽霊というと驚いたが、一人だけ平然として「そういうことはよくあります」という人がいた。それがつげ義春で、彼はある漫画家と読者の集いで珍しく参加した時、参加者のそうそうたる面々、手塚、石森、白土、水木の中で、つげの席のみ空席になっていた。何とつげは観客側に首をすくめて座っていたという。
・彼が出版社を運営していた時、楳図をスカウトすると、「OK」を貰ったはいいが、彼はそのまま出版社に居候を始めてしまった。彼は佐藤を巻き込んで様々ないたずらをした。お化けの面を作り、二人で肩車してお化けに扮装して近所の者を驚かして喜んでいたら、ある時、それがもとでタクシーが事故を起こしてしまい、てっきり殴られると思ったら、タクシーは怒るどころか怯えて逃げ出してしまったので事なきを得た、とか。或はしょっちゅう、近所から食べ物を盗んでは「ピーター参上」などと書き残したという。こちらは随分怒られて尻拭いをさせられた。しかし一方で当時の漫画家のほとんどは金には汚くて、佐藤が他社から引き抜く為に支度金を支払ったのを盗み聞きすると旭丘光志を仲間に引きいれてそれをネタに値上げ交渉に来たりした。(佐藤によれば金に汚くなかった漫画家は水木しげるだけだったそうである)
・その水木しげるに一時女性アシスタントがいたのは事実らしい。(ゲゲゲの女房でそんな描写があったが、それが誰かは明らかにならなかったと思う) 彼は佐藤に、実に嬉しそうに話していたという。ひじが当たるだけで嬉しかったらしい。(ちなみに佐藤は水木作品について、この時代の彼の作品は夢があって良かったが、雑誌時代になると逆に編集者達に追われるばかりで夢がなくなったような気がすると書いている)
・平田弘史も居候していた事がある。彼の部屋から夜中に気味の悪い話し声が聞こえて来て、アシスタントたちが怖がったが、実はその時平田は作ったシナリオを声を出して確認していたらしいが、アシスタント達は彼の気が狂ったと心配したらしい。
・松森正は彼のアシスタントの中で唯一、彼が育てなくても大成したであろう才能の持ち主で(逆に言えば、かざま鋭二や川崎三枝子は彼が育てなければ漫画家になれなかったと言っている)、彼の連載作のヒロイン作画を任せるようになったほどだったが、彼も増長してどうしようもなくなった。彼は慌てて他のアシスタントに密かに松森の描くヒロインを模写出来るようにさせた上で彼をクビにした。
・ヒロインをアシスタントに描かせるということでは、二人のヒロインを別々の女性アシスタントに任せて、劇画の外でも劇画内のライバル心を煽って成功させたこともあるという。
・あるベテラン・アシスタントが故郷で親友が漫画家になるのでそちらのアシスタントになりたいと言われて仕方なく了承したことがある。その故郷の漫画家が矢口高雄だった。
・本宮ひろ志も原稿を持ち込んできたことがある。彼には「人物に動きが無い。もっと動きを付けるように頑張りなさい」とアドヴァイスしたら、彼はそれを克服して「男一匹ガキ大将」で成功する。彼は
水島新司のアシスタントに志願した事もあったが、その時は「野球が出来る」の一言で採用されたという。
・みやわき心太郎はアシスタント時代、「僕が漫画家になった頃に、佐藤さんはまだ描いてますかね」と大口を叩かれて怒った。(彼は、辰巳、さいとう、佐藤の劇画工房三人を渡り歩いた珍しい男)

・河出書房が漫画雑誌を創刊したことがある。手塚、永島慎二、小島剛夕、柳下照生、旭丘光志、桑田次郎、佐藤まさあきというメンバーでカラーコミックという誌名。佐藤まさあきは初めて(そしてオリジナルでは唯一)大藪春彦の原作を得て描いた。佐藤は老舗出版社の豪華ラインナップに驚喜するが、わずか二号で河出書房は倒産してしまい幻の雑誌となる。それは昭和43年3月のこと。4月にビッグコミックが創刊するわずか一ヶ月前の出来事。
・佐藤まさあきの雑誌デビューは何と(!)「COM」であるとのこと。手塚治虫の意向があったというが、それは真偽不明。ただ、その時に掲載した作品「猫」はもろ、自分の少年時代の義兄に対する復讐心を初めてストレートに反映させて描き綴ったものらしい。

・佐藤まさあきはこの黄金時代、ほとんど帰宅することのない自宅を建てては中に瀧を作るような無茶な仕様に建て直したり、ほとんど乗りもしないクルーザーを買ったりと散財の限りを尽くし、やがて漫画家引退を宣言して「劇画館」なるレストランを経営するが失敗、こりもせず同名の喫茶店を経営、妻に任せるが、やがて妻はそこで自立してしまい離婚することになる。貸本時代終焉以降の記述は、一部漫画家のエピソードで面白い部分はあるものの、佐藤作品の成立に立会う(こちらはまだマシ)ことと、滅茶苦茶な生活の描写で、ついていけない。




hirot15 at 00:57│Comments(0) その他読書 | 漫画

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