ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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hiro


2016年05月

2016年05月31日

デンジャラス・プラン 裏切りの国境線

2016年 アメリカ MERCURY PLAINS
チャールズ・バーマイスター監督&脚本 スコット・イーストウッド アンジェラ・サラフィアン ニック・チンランド ジャスティン・アーノルド アンディ・ガルシア

米テキサスの町で職もないまま無為な日々を過ごす青年。友人の誘いで行ったメキシコのバーでもめ事に巻き込まれた彼は、無一文で路上に放り出されてしまう。そんな彼を助けたのは私設軍隊の兵士だった。

・主演がイーストウッドの息子。正直、内容はそれほど面白く無いけど、スコット・イーストウッドはさすがに時々、若きイーストウッドに似ている。「ローハイド」頃というより「恐怖のメロディ」あたりかな。ちょっと若さがギラギラと滲み出ている感じ。
・全体としてはいまいち、いまに、だけど、クライマックスの金を抱えての逃走シーンはちょっと見応えがあったかな。線路に腹這いになって銃を構えるシーン、腹這いで四方八方を探るシーン等、サマになっていた。



hirot15 at 23:10|PermalinkComments(0) 洋画 | アクション・サスペンス

2016年05月30日

サンシャイン・ステイト

2002年 アメリカ SUNSHINE STATE
ジョン・セイルズ監督&脚本 アンジェラ・バセット 、 イーディ・ファルコ 、 ティモシー・ハットン 、 メアリー・スティーンバージェン 、 ジェーン・アレクサンダー 、 メアリー・テンプル 、 デリア・テンプル 、 ファーマン・テンプル 、 デズリー・ペリー

15歳で家出したデズリーの帰郷をきっかけに、町の再開発業者やレストラン経営のマーリーなど、あらゆる人間が入り乱れて、変化を望むものとそれを拒むものとの静かな対立が始まる。

・相変わらずセイルズの落ち穂拾い。本作も実に渋い内容。これも群像物だけど、奉仕活動として棺桶を作る少年のエピソードが好き。一応、アンジェラ・バセットとイーディ・ファルコ(この人は知らない)の二人がヒロインなのだろうけど、この二人、冒頭近くだけでしか対面していないのでは? 二人それぞれの周囲の人物が上手く描けていて興味深いものとなっている。




hirot15 at 23:30|PermalinkComments(0) 洋画 | ドラマ

2016年05月29日

秘密のかけら

2005年 カナダ/イギリス/アメリカ WHERE THE TRUTH LIES
アトム・エゴイヤン監督&脚本 ルパート・ホームズ原作 ポール・サロッシー撮影 マイケル・ダナ音楽 ケビン・ベーコン 、 コリン・ファース 、 アリソン・ローマン 、 ソニヤ・ベネット 、 レイチェル・ブランチャード

1972年、ロサンゼルス。野心溢れる若手ジャーナリスト、カレンは、有名人の暴露本で名を売ろうと、彼女の少女時代のアイドルで15年前に人気絶頂の中 解散したデュオ、ラニーとヴィンスに狙いを定める。解散のきかっけとなった女性の変死事件の真相を解き明かすため、彼らに近づくカレン。しかしそこには、 あまりにも退廃的で死の匂いに満ち溢れた暗黒の迷宮が待ち構えていた…。

・久々にエゴイヤンの「白い沈黙」を見たら、もっとエゴイヤンを見たくなった。エゴイヤンのインタビューによると、このコンビの原作におけるモデルはディーン・マーティン&ジェリー・ルイスとのことだが、映画化の際はこの二人をあまり連想させないように逆に気を使ったらしい。1950年代に起きた変死事件とそれを取材する1970年代。二つの時代が描かれるが、事件の真相はちょっと感心した。その描き方もいい。
・ケビン・ベーコンが例によって悪役モードの嫌らしい演技をしているし、「フットルース」で踊っただけあって身のこなしもいいが、相方役のコリン・ファースの方がそれを上回る印象的な存在感を発揮している。監督曰くヒロインのアリソン・ローマンが小学生まで演じさせる誘惑をおさえきれなかったとのこと。それを聞いて思わずビリー・ワイルダーの「少佐と少女」を思い出したが、あの作品でジンジャー・ロジャースは本物の少女を演じているのではなく、大人の女性が少女のフリをしているのだから本作とは違うか。


hirot15 at 23:59|PermalinkComments(0) 洋画 | ミステリ

2016年05月28日

悪魔が来りて笛を吹く

1979年 東映
斎藤光正監督 野上龍雄脚本 横溝正史原作 西田敏行 、 夏八木勲 、 仲谷昇 、 鰐淵晴子 、 斉藤とも子 、 石浜朗 、 村松英子 、 小沢栄太郎 、 池波志乃 、 宮内淳 浜木綿子 梅宮辰夫

旧・華族で起きた血の惨劇を描く金田一耕助シリーズの一作。原作者自らが語る「この恐ろしい物語だけは映画にしたくなかった」という宣伝文句で話題になった

・近年(と言ってももうかなり昔になっているが)の金田一物として東映による作品。角川は各社に分散して種を蒔き、実がなったのが東宝だったのでしょうね。で、東映は金田一に西田敏行を持ってきて、当時の僕は多分失笑していたと思うのですが。(渥美の金田一は失敗とは思うけど笑えはしなかった) だいたい、僕は公開時、この作品を観たのだろうか? 角川は滅茶苦茶CMを流していたから、映像は焼き付いているが、それが果たして本編のものなのかどうか。多分、TVでくらいは一度は見ているのだろうけど、ほとんど印象に残っていなかった。
・今回、改めてDVDを借りてみると、いよいよ前に見た記憶が薄いと思った。ただし、それだけ本作が面白く無かったのかと言えば、そうではないところが我ながら面白い。
・まず、失笑物という印象の西田敏行がそれほどは悪く無いこと。渥美清の金田一が寅さんになってしまったというような事態には至っていない。多分、当時の西田の印象は「池中弦太」だったのだろうと思うけど、実際、現在よりは精悍な印象で、ある意味、金田一に似合っていないことはないかもしれないと。(肯定と否定の曖昧さが面白い存在となっている)
・それと。今もいつも僕にとって不思議な存在なのだけど、鰐淵晴子の妖艶さが本作に実に合っていると言うこと。ほとんど存在するだけで実質的な動きは無いのだけど、原作の象徴が彼女の存在とシンクロしている印象。それが、本作を成功作とは言えないまでも、今後無視出来る存在ではなくなるかもしれない。
・もう一つ、驚いたのが、本作における斉藤とも子の存在感。彼女が鰐淵晴子の対照として成功しているのだ。原作において斉藤演ずるヒロインは、ヒロインとしては珍しく美人ではなくどちらかと言えば可哀想な容貌として描かれているが、実際に映画で見るとこの対照がよく分かる。(原作を読んでいる時はそれほど気にしていなかった) 勿論、斉藤とも子は可哀想な容貌ではなく、美人とは言えないかもしれないが可愛い。好きなタレントだったが、振り返れば、彼女の演技は、青春ドラマの女学生の一人、という程度、むしろNHK「若い広場」のマイブック・コーナーの印象が強い。(若い広場なんて全く記憶がないのに、マイブックコーナーだけ覚えているのは彼女目当てで見ていたのだろう) そんな印象だった彼女の、本作における存在感に驚く。金田一物においてヒロインの多くはその悲劇的宿命を背負ってもこれから前向きに生きていかなければならないという終わり方なのだが、本作における彼女は「獄門島」の大原麗子にも負けない存在感を出している。逆に言えば、この部分、ほとんど彼女のプロモーションビデオとも言えてしまうのかもしれないが。
・その他、原作では背景として説明されている程度の金田一のパトロン風間俊六を梅宮が浜木綿子と夫婦役でしっかり描かれているのに驚いた。
・このように色々な意味で「悪魔が来たりて笛を吹く」の映画はちょっと驚きの映画だった。(いや別に全然お勧めするべき映画ではありませんが)



hirot15 at 23:05|PermalinkComments(0) 邦画 | ミステリ

2016年05月27日

悪魔が来りて笛を吹く

横溝正史著

「父はこれ以上の屈辱に耐えていくことができない。ああ、悪魔が来りて笛を吹く」謎の遺書を残して失踪する椿英輔子爵。以後、椿邸では、悪魔の吹くフルートの音とともに、次々と怪奇な殺人事件が発生する・・・。

・相変わらず金田一耕助。本作は敗戦後を舞台とした帝銀事件(作中では天銀としている)を発端とした没落貴族をモチーフとした作品。岡山物ではなく東京を舞台としているが、途中、淡路島まで渡り、手紙で磯川警部との接触もある。
・これも数十年ぶりの再読だが、正直、これまでの印象としてはいまいちなものだった。冒頭近くの降霊会は面白そうな出だしだったと思うが、多分、当時の僕はこの作品がその後、全く降霊会から離れてしまうことに失望したのかもしれない。事件の度に聞こえて来るフルートも結局はレコードのトリックの繰返しだし。何よりもこの作品の動機を理解しきれなかった為と思う。
・今回読み直して、それらがよく分かる。特に降霊会はその後の展開にほとんど関係してこないこと、ガマ先生も実際の存在感は薄い。一方で最初の密室殺人のトリックは単純だがそれなりに感心する。ただし、その後の殺人にはほとんど巧妙さは無い。もう一つだけ、見せ場となる謎は、見知った顔の集まりの中、突然悪魔を発見したという謎。結局、本作の核心はトリックではなく、どろどろとした人間関係に尽きるということであり、初読時の僕はそんなものに関心が無かったから印象が薄れてしまったのだろう。
・それでは再読時の今は、と言えば、正直、ストーリー展開を追うという楽しみで、やはり人間関係にはそれほど興味は持てない。どろどろした人間関係という意味ではこれまでの横溝作品のほとんどにあるものだし。それでも実際とは違う真相である天銀事件の犯人の使い方と、犯人の告白(最後の殺人の前に告白文を書いている)はそれなりに感心した。
・タイトルのわりに地味だが、トリックではなく事件の推移としてよく出来た作品と思う。


hirot15 at 23:26|PermalinkComments(0) 小説 | ミステリ

2016年05月26日

コルドラへの道

1959年 アメリカ They Came to Cordura
ロバート・ロッセン監督&脚本 アイバン・モファット脚本 グレンドン・スワザウト原作 ゲイリー・クーパー リタ・ヘイワース ヴァン・ヘフリン リチャード・コンテ タブ・ハンター

1910年に起ったメキシコのパンチョ・ビラ将軍の動乱は、1916年になってテキサス、ニュー・メキシコ地方へと拡大した。アメリカ陸軍は鎮圧のため パーシング将軍を派遣した。この戦闘に参加したソーン少佐(ゲイリー・クーパー)は、戦線で銃弾を避けるため橋の陰に身を隠した。この行為が罪に問われ、 卑怯者として後方勤務に左遷された。その頃、革命軍の逆襲を受けたロジャース大佐の部隊を、第12騎兵隊の分遺隊員5人が救った。この戦闘を観ていたソーンは、彼らを名誉賞受賞者に推薦し、後方のコルドラ基地に移すことを考えた。同時に革命軍に加担した牧場の娘アデレイデ(リタ・ヘイワース)も護送することになった。

・「ジョニー・オクロック」が面白かったところに奇しくも同じロッセンの本作が放映されたので見てみたら、実に渋い映画だった。冒頭近くに活劇シーンがあり、ここで5人の活躍が描かれるのだが、本番はこの5人とクーパーとヘイワースがコルドラの基地に向かう道中もの。ヴァン・ヘフリンを筆頭にこの道中で5人の英雄とクーパーの対立がほとんど極限状態の会話劇として展開する。
・ゲイリー・クーパーは本作が死の二年前、晩年の作品。その疲れた表情が本作のキャラによく合っている。同時にこのキャラは赤狩りにおける監督自身の境遇を反映させているのだろうな。
・自分が出来なかった英雄的行為をした者達に対して、その動機を追及し、この道中で決して英雄的でなくむしろ卑劣な者達に対する葛藤・・・
・ヘイワーズ以外の全ての協力を失った彼がトロッコを引き、その努力が無となって上り坂に押し戻される無慈悲な描写が胸に沁みる。
・リタ・ヘイワースもセクシー女優を脱皮して紅一点、存在感(観客に対するアピールではなく作中の同行者に対する性的アピール)を出している。つまりセックスシンボルから性格俳優への変質。決して胸も容姿も強調してはいない。
・エンディング、もう一押しの演出が欲しかったかな。あそこで唐突に基地を見つけてはいけないと思う。結論を出した後の収束とはいえ。




hirot15 at 23:32|PermalinkComments(0) 洋画 | ドラマ

2016年05月25日

ベルファスト71

2014年 イギリス 原題:’71
ヤン・ドマンジュ監督 グレゴリー・バーク脚本 タット・ラドクリフ撮影 ジャック・オコンネル 、 ジャック・オコンネル 、 ポール・アンダーソン 、 リチャード・ドーマー 、 ジョン・ハリス

治安悪化の一途をたどるベルファストに赴任した兵士・ゲイリー。住民の暴動に巻き込まれた小隊は撤退を決めるが、ゲイリーだけが街中に取り残されてしまい…

・久々のアイルランドもの。1990年代は随分見たものだが。当時はニール・ジョーダンからジム・シェリダンまでアイルランド人監督が台頭して秀作が続出していたが、最近はたまにケン・ローチを目にする程度だったが、実際はどうなのだろう。ケン・ローチはアイルランドでなくイギリス人だがアイルランド問題も随分扱っている。そして実は本作の監督もフランス生まれ、イギリスのロンドンで育った監督でアイルランド人ではない。
・久々にアイルランド問題を題材とした映画を観て異色に感じたのは、これまでの映画はほとんどがアイルランド側から描かれた映画で、ケン・ローチでさえアイルランド側から描いていたと思う。しかし本作はイギリス側からアイルランド問題を扱っている。つまりイギリス人兵士がアイルランドの治安悪化地域に取り残されて、ひたすらそこから脱出しようとするスリラーとして作られているのだ。映画は具体的に主張はしていない。ただただ険悪な描写で主人公の危機的状況が描かれ、しかもアイルランド側も一枚岩でなく、IRA、反IRAなど勢力が入り乱れている。味方が敵で、敵が味方で。
・久々にこのジャンルを堪能した。



hirot15 at 23:48|PermalinkComments(0) 洋画 | ドラマ