ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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hiro


2012年07月

2012年07月31日

ヒミズ CC

園子温監督 古谷実原作 染谷将太、二階堂ふみ、渡辺哲、諏訪太朗、吹越満、神楽坂恵、光石研、渡辺真起子、モト冬樹、川屋せっちん、吉高由里子、窪塚洋介 、鈴木杏、西島隆弘、村上淳、でんでん、堀部圭亮、黒沢あすか

・原作未読。前作に続き、毎度ハードな内容だが、滅茶苦茶さがこちらの方が徹底している分、見応えはあるか。前作は「愛のむきだし」の出がらしに感じて、メフィスト冨樫真が徹底しきれなかったのが残念だったが、今回はそれなりに徹底しきれたのではなかろうか。まあその判断もぎりぎりですが。
・それと、撮影中に急遽取り入れたという東日本大震災の情景は、それなりに成功していると思う。単にキャラに取り入れたというより、やはり映像(実像)自体に映画の力を感じる。中途半端なドキュメンタリー(ニュース)映像よりも、描くべき点をとらえているこの映画の強さ(怖さ、荒涼感)。
・ひたすら負の方向に落ち続ける主人公に対して、ヒロインの存在感はやはり大きい。この関係が「愛のむきだし」と微妙に(しかし確実に)違うところが大きいかもしれない。そういえば前二作(恋の罪冷たい熱帯魚)にこのような関係は存在しなかったのではなかろうか。そういえばこの作品にはホームレスもどき達が暖かい存在感を出しているのも救いかもしれない。「愛のむきだし」にも味方はあったが、その存在感が違う。そういうところで、本作にも出ている でんでん の微妙な存在感、「冷たい熱帯魚」の出がらしに見えて決してそうでは無いが、こいつはなんなんだ?という不思議さ。(車で拾うシーンが無ければまさに単なる出がらし出演だっただろう)
・ヒロインが、実は主人公以上に悲惨な家庭である(それが描写されたときの驚き)ことも印象深い。自らストーカーを自認する負の存在が、彼を生きる糧とする筈が、彼の方が徹底して墜ちることによって、逆に彼女が彼の生きる糧となることを決意する。(最低限の幸せ(ボート屋)の確保を目指していたのに、父親殺しという最悪の状況に陥った為、せめて世の役に立って自らの存在を消そうとするが、それもかなわず世の役に立たぬまま・・・、という狭間に彼女の存在がある)
・多分、「愛のむきだし」(オウム)「冷たい熱帯魚」(愛犬家)「恋の罪」(東電)のあざとい題材に対し、本作は最初から漫画原作というところからの出発に、予定外の東日本震災という題材が加わった事がよかったのではないか。(思えば「愛のむきだし」も「さそり」の存在を加えた事で救われたのかもしれない)




hirot15 at 00:29|PermalinkComments(0) 映画 

2012年07月30日

しあわせのパン BA

三島有紀子監督 原田知世、大泉洋、森カンナ、平岡祐太、光石研、中村嘉葎雄、渡辺美佐子、中村靖日  八木優希 あがた森魚 大橋のぞみ(声の出演) 霧島れいか 余貴美子

・これは個人的にはまさにしあわせな映画でした。特に原田知世が好き、というわけではなく、フツーに好きだったけど、同じく好きだった薬師丸ひろ子の変貌(悪い意味、ではない)に対し、原田知世はかなり早い時期から独特の立ち位置を築いて、それを保った結果がこの作品なのかな、と。(最近の原田知世はブレンディのCMくらいしか表に出ていないけど、あの宣伝自体、それなりの存在感になっていると思う)
・大泉洋は、初めて知った頃はかなり苦手なコメディ俳優(大袈裟さが苦手)だったが、似たような演技をしながら作品に上手く同化させていることに気がつき、最近はかなりその存在感を見直していたが、本作には彼の一つの究極の存在感が出ていたかもしれない。本作においては良くも悪くも彼の特徴だった大袈裟感を極力排除して、ひたすら原田知世の後ろに控えた存在に徹している。ほとんど前面に出ない。しかし確実に(多分、映画の中でも演技の上でも)原田知世を支えている。多分、この映画は彼のベストのひとつになっていると思う。
・話は単に北海道の洞爺湖近辺に宿泊も出来るパン屋カフェを出した原田知世と大泉洋の夫婦のところに来た客たち、三つのストーリー。最初の森カンナ、平岡祐太のカップルエピソードも、次の光石研と八木優希の親子エピソードも、それほどたいしたエピソードではない。ただ、何となく見れて、何となく心地よい結末のエピソード。ここらでは、常連さんたち(余貴美子絶品、中村靖日とあがた森魚も良い)も存在感を出している。親子エピソードの方でそれまで何が入っているか分からなかったあがたの鞄にアコーディオンが入っていて、哀しいシーンで切ない曲を演奏するから、悲しみのBGMになっちゃうじゃん(はげましになっていないよ)と思ったら、素直に泣ける為の演奏だった、というのがよかったです。それを言うなら最初のエピソードで沖縄土産のシーサーを探しているカップルに、ちゃんとある、とコロポックルの木彫り像を渡す余貴美子も良かったですね。
・最後のエピソードである渡辺美佐子と中村嘉葎雄の老夫婦のエピソードは最もワケアリそう。前の八木優希ちゃんの登場もワケアリそうだったけど、こちらはもっと深刻そうだし、季節も真冬。(書き忘れたけど、それぞれのエピソードに季節感もあります) 彼らはパンが苦手なのにこの店に来てしまい、大泉は文句も言わずに吹雪の中、米の調達に出て行く。
・この映画を文句無く好きなのは、原田知世の変わらぬ今、を見れる事と、渡辺美佐子の今、をしっかりと見れるから。渡辺美佐子はずっと昔から好きで(と言ってもそれほど沢山見ているわけではありませんが、見れば強烈な印象をいつも見せてくれる)、最近は「おひさま」のおばあさま役で出ていてとても嬉しかったのですが、更に今、この作品を見れてとても幸せ。この作品の彼女はそう感じさせる演技をしてくれている。
・渡辺美佐子が嫌いな筈のパンを食べるシーンが絶品。それはそのまま、生きている限り、新しい展開はあるということを納得させてくれます。二人が去るシーン、整った寝台が映された時、あ、いっちゃった(この漢字がどれがあてはまるかが問題だ)と思ったら、次のシーンで、二人がちゃんと挨拶して去るので、とても嬉しい気分にさせてもらいました。
・そして三つのエピソードの後のエピローグ部分。心底、俺も原田知世とこういう風な生活をしたかった(映画の中でも大泉洋の立ち位置が羨ましい)と思った。
・最後に流れるテーマソングが「ひとつだけ」(矢野顕子with忌野清志郎)、よかったです。

Zom's



hirot15 at 00:40|PermalinkComments(0) 映画 

2012年07月29日

ブラッドベリ、自作を語る BB

レイ・ブラッドベリ / サム・ウェラー著

・サム・ウェラーによるブラッドベリへのインタビュー。特に前半、自作を語るあたりまでが抜群に面白いです。後半の、信仰とか政治とか、幸福の追求あたりは、ねぇ。サイエンスフィクションとか芸術とか創作とかはまあまあ面白い部分もありますが、前半ほどではない。
・それにしても、ブラッドベリ作品は70年代までの作品はそれこそ貪るように読んだが、80年代頃(多分、リアルタイムに追いついたあたり)から読まなくなってしまったな。サンリオ文庫は読んだ。「死ぬときはひとりぼっち」あたりから何となく読みたいと思いながら遠ざかってしまった。
・ということで以下、ほとんど覚書。興味を持ったらそこで止めて、本書をお読みください。

・彼は生まれたときからの記憶があった。書いているときは忘れていても後からその事実を思い出す事が時々あり、たんぽぽのお酒もそう。書いたときは意識していなかったが、それが確かに実在していたことは後で明らかになった。
・両親は苦しい生活をしていたが、極力それを表に出さなかった。ハリウッドに住んでいた頃は映画を見まくり、サインを貰いまくった。ベティ・デイヴィスにはアカデミー賞受賞の際、ドアを開けてあげた。グレタ・ガルボのサインは貰えなかったが、偶然会った事はある。彼女は映画が始まってから後ろの方の席につき、明るくなる前に出て行く。彼が会ったのはそんな帰りに急いでいたガルボと偶然ぶつかったからだ。
・特に好きな映画は「市民ケーン」と「ファンタジア」。
・ジョン・ヒューストンが「霧笛」を読んで「白鯨」の脚本を依頼。かねて脚本書きを勧められていたブラッドベリは「ヒューストンに頼まれたらね」と言っていたので、未読だった「白鯨」を一日で読んで引き受けた。しかしヒューストンは最後に勝手に自分の名前を共同脚本として入れた事で二人は険悪になった。映画が公開された頃にはブラッドベリは水に流していたが。ヒューストンの死の直前、酸素吸入器持参でニコルスンと会食していた場に居合わせて、挨拶をして、さんざんヒューストンを持ち上げてやったらポカンとした顔をしていたが、「ありがとう」とは言っていた。白鯨執筆のエピソードは「緑の影、白い鯨」(これは読み始めた記憶はあるが読み終えた記憶は無い)で書いている。
・「黄金の腕」(麻薬がらみ)「或る殺人」(レイプが題材)等の脚本依頼を断った。「友情ある説得」は脚本が出来ているのに依頼が来た。それを書いた人が共産主義者と言われていたので、そのカモフラージュが必要だったのだ。彼は偽名で出して報酬を払い、ほとぼりが冷めてから実名を明かせとアドバイスし、結局その通りになった。
・ロッド・サーリングは悪気は無いにせよ、多くの作家の盗作をしていた。多分、自分のアイデアと他人のアイデアの見境がつかなくなっていたのだと思う。(「トワイライトゾーン」の第一話もブラッドベリの「火星年代記」からのいただきだったが、後から電話してきて、奥さんがその事に気がついて、後からでも映画化権を買いたいと言ってきた。今更いいと断わったが、後からまた電話をかけてきて買うと言ったのにそのままになった。後からの電話がなければよかったのに。その後も自分も含めて色々な人との間で似たような事があった) クレームをつければ全面的に謝罪はするが、違約金は払わないし同じ事を繰返す。結局、絶縁状を送った。
・盗作の訴訟はCBSに対して行った事はあるが、3年かかって勝っても実りは無かった。
・サーリングのひどさに対して、ヒッチコック劇場は非常に誠実だった。ヒッチコックも何度か同席し、またそれとは別にインタビューしたこともあるが、ヒッチの語った事は全て先にトリュフォーに語った事だったので、本にはならなかった。こちらはネタの使い回しをされたわけ。
・ヒッチコックとの直接の仕事は、「鳥」の脚本を頼まれたが、現在「ヒッチコック劇場」の方の脚本の最中なので二週間待ってくれと言ったが、待ってくれなかった。僕が書けばどうにでもなったとは言わないが、あれじゃあちゃんと終っていないよね。
・TV版「火星年代記」 どこが悪いってわけじゃないけど、面白くない。
・トリュフォー「華氏451度」 上々。ジュリー・クリスティの二役は不味かったが。音楽は良かったが、バーナード・ハーマンをトリュフォーに紹介したのはブラッドベリ。ヒッチコックと「引き裂かれたカーテン」で喧嘩したのでトリュフォーに紹介した。(引き裂かれたカーテンは)たいした映画じゃなければたいした曲も書けない。
・ジェリー・ゴールドスミスとも友人。「刺青の男」の音楽は良かったが映画は駄目だった。
・映画は脚本。良い脚本を選べばスターになれる。「グラデュエーター」や「LAコンフィデンシャル」を選んだからラッセル・クロウはスターになった(たいした俳優ではないが)。「赤ちゃん泥棒」や「月の輝く夜に」を選んだからニコラス・ケイジはスターになった(ニコラス・ケイジは好きなんだが余人をもって代え難し、とまでは言えない) 「LAコンフィデンシャル」でケヴィン・スペイシーは良かったが、「シッピング・ニュース」では退屈もいいところで観客は寝てしまう。
・娘がデイヴィッド・ボウイのファンで既に売り切れているコンサートに行きたいというもので、著作権管理団体経由でボウイのマネージャーに電話をかけ、チケットを売ってもらいたいと言ったら「ご冗談でしょう。ボウイはあなたの大ファンだ。楽屋にも来て下さい」ということで、娘を連れて楽屋に行ったら、ボウイだけでなく、一緒にいたリンゴ・スターもニール・セダカもベット・ミドラーもジョン・ベルーシも寄ってきて、娘は「お父さんって何なのかしら」という顔をしていた。
・チャールトン・ヘストンを嫌いだという人もいたが嫌う方がおかしい。人物を知らなかったのだろう。全米ライフル教会と縁が深くて嫌われたんだがばかばかしい。(ブラッドベリ自身は銃の所持に反対の立場を後で明確にしている)
・ジーン・ケリーが「火星年代記」のファンだったので家に呼んでもらえた。ブラッドベリも「雨に唄えば」が大好きなので相思相愛という事で付き合いが始まり、ブラッドベリはジーン・ケリーと映画が作りたくて、「闇のカーニバル」を脚本として書いてケリーに渡した。ケリーは感激して金主を探しまわったが金主は見つからなかった。がっかりしたケリーから脚本を返してもらい、それを小説化して「何かが道をやってくる」が出来た。
・弟子筋のチャールズ・ボーモントとシド・スティーベルに対して「いいか、量が大事なんだ。量をこなせば質がよくなる。たくさん書いて自分で要領を覚えないと駄目だな」
・ハーラン・エリスンについて。(弟子筋ですかと問われて)「いや、あったは全然タイプが違う。彼は爆弾発言が多くて、ノーマン・メイラーみたいな人だ。いつも何かしら腹を立てていた。僕とは気質が違うなあと思っていたが、それでいてずっと友達だった。あれで気は優しいんだ」
・フリッツ・ラングとは本屋でばったり出くわした。もう一冊「火星年代記」を買ってサインをねだられ住所を聞かれた。映画化したいという事だった。ハロウィンの日に「衣装を着けてどうぞ」と招待したら、平服だったので「衣装は?」と聞いたら「つけているよ」と頭の先の小さな角を見せられた。その日はハリーハウゼンも来て、ラングの前でマリオネットを操作してみせた。(それでどうともならなかったが)
・30代でバーナード・ショーの芝居を演ずるチャールズ・ロートンに惚れ込んで、「華氏451」の芝居台本を書いてロートンに持ち込んだ。その後ある晩、ロートンにディナーに誘われて多いに飲まされた。すっかり酔いが廻ったところで「あの台本は使い物にならない」と告げられた。さすがだな、うまくやってくれたよ。それで台本の書き方を覚えた。原作の上をふわっと漂う感じだ。あの日は泣きながら帰ったが、ロートンとはその後もつき合い続け、ロートンの妻用に台本も書いた。実現したのはロートンの死後だったが最高の台本の一つと思っている。(ハッピーアニバーサリー2116 / 最近のタイトルはレイ・ブラッドベリの知恵2116) 開園一年後ののディズニーランドに誘われ、一緒にピーターパンの船に乗った。ロートンがブライ船長とはいかなる人物だったか実演付きで語ってくれた。ありゃ、まあ凄い人だった。
・ウォルト・ディズニーとはお互いクリスマスの買い物をしている時に出会って名乗り合い、「いつかランチでも」と言ったら「では明日」と言われて驚いた。死ぬまでに三四度会って色々なジャンルのことを語り合った。ディズニーが死んだ日、偶然、娘達を連れてディズニーランドに行っていた。帰って妻から色々なところから追悼コメントを求める電話があった事を聞いた。妻は「今ディズニーランドに行っています」と答えていた。亡くなった日にディズニーランドに行っていたなんて凄いトリビュートだと自分でも思う。
・フェリーニ映画を網羅した写真集の書評をロン・チャニーやチャップリンとの比較論で新聞に書いたらフェリーニから手紙が来て、ローマに来たら会いたいと書いてあった。実はそのずっと前「サテリコン」試写会でフェリーニがハリウッドに来た時、自分もいたが彼は自分の事を知らなかった。翌日、質疑応答の際、「撮影中は作業用フィルムを一切見ないのは本当でしょうか。そんなことが出来るのでしょうか」と質問したら、「そこまで自分にかまいたくない」というのが答えだった。その通り。自分もそのように仕事をしてきた。最終日にイタリア語版の「火星年代記」を進呈したら、その本の事は知っていた。今度のフェリーニからの招待の後、別れ際に抱きついてきて「双子だね、双子」と言われた。(後に掲載された写真を見ると、本当に似ている!) フェリーニの訃報に接した時、その日はハロウィンだったが、祭りはなくなった。
・近年、電話番号帳を見るとそれは死者の書だ。名前を削除する気になれなくて、まだ埋葬していないというか。
・妻の墓の隣に自分の墓も買ってあるが、出来るなら自分は火星に埋葬されたい。トマトスープの缶に骨を入れて、よく読まれた本の名前を彫っておく。献花はタンポポに限る、とも。
・夢の話。夜中にドアを叩く人がいて、急いで出て行くとジョン・ヒューストンがシュノーケルを付けて立っている。銛を持ってマスクやボンベも装備して「海へ行こう、シュノーケルの使い方を教えてやる」「遠慮する」と言っても「びくびくするな、来い」それで深いところに連れて行かれて、溺れて、目が覚める。
・神話とメタファーとどう違うかと言えば、メタファーは歴史が無くていいから、全く新しいメタファーを作る事が出来る。と言っても神話の中にもメタファーはあるよね。どんなレベルでもメタファーは働いている。
・中編「ファイヤーマン」から長編「華氏451」への発展について、「登場人物に喋らせただけ」(僕は聞いているだけ)。長編化の際、元のオリジナルはなるべく見ないようにする。脚本化も同様。足りないものがあれば後で足せば良い。「華氏451」については違いは分からない。読み返していないから。
・「華氏451度」では全て逆を行っている。消防士は火をつけ、本は読んではならない。戦争から8年、勿論、戦争当時、ナチの焚書の映像は見ているが、ソ連だって、ハリウッドのマッカーシズムだって同じようなもの。
・「華氏451度」は図書館に通って九日間で書かれた。バスで行った。ある日、バスを待っていると何冊も科学の本を抱えた若者がいてSFが好きと言う。どんな作家が好きか尋ねたら、アシモフ、クラーク、ハインラインと続いてやがてブラッドベリの名前も。ブラッドベリに会いたいか尋ねると、それはもう、と言うので目の前にいる、と言ったら驚いたのなんのって。どこの出身か聞いたらキューバと言うので、ハバナ?、そう、お名前は?、と聞いたら、「ヘミングウェイ」と。なんとまあ、ヘミングウェイの息子だった。って、ほんとの話か?
・「キング・オブ・キングス」(ニコラス・レイ)のナレーションとエンディングを書いているが、エンディングはコストがかかり過ぎて滅茶苦茶カットされてしまった。ナレーションはそのまま使われ、オーソン・ウェルズが担当しているが、二人ともクレジットされていない。ブラッドベリは元の脚本家がクレームを付けたため。ウェルズは25000ドルの割増料を求めたため。
・マドモアゼルに掲載された初期短編「集会」を見出したのは、当時同誌のアシスタントをしていたトルーマン・カポーティだった。カポーティの作品は初期短編はいい。「冷血」はあまり好きになれなかった。僕はそういう現実派ではないし、手法も新しい発明とまではいえないと思う。
・カート・ヴォネガット。なんだかつかみどころがない。僕とは全然タイプが違う。すごくシリアスな人だ。そういう人生だったんだな。二度会って、二度目のときは場の雰囲気も良く笑顔を見せてくれた。
・ノーマン・メイラー。生きることを嫌った人。男の典型。力を持っているのは女で、それが気に入らなくて女を叩きのめし、一人は刺してしまった。挨拶しても無視された。(ヒューストンはメイラーを好んでいた)
・ゴア・ヴィダル。すごくいい人。
・印象派の絵画について。ルノワールの絵は好きで、息子のジャン・ルノワールが僕と共同で映画を作りたがった。「ピカソ・サマー」というタイトルになるはずだったが、製作サイドが承知しなかった。ルノワールが歳を取り過ぎていて、途中で死んじゃうかもしれないと言うんだ。
・抽象画について(例えばジャクソン・ポロック)。あれじゃあ絵にならない。何も見えてこない。
・アンディ・ウォーホル。「悪魔のはらわた」なんて映画があったけど、他人が製作したものにウォーホルの名をかぶせて自分の仕事みたいにみせかけた。やることに嘘がある。ああいうことをやる人間は好きになれない。
・「華氏451度」のエンディングのように自分が一冊の本を暗記するとしたらどの本にするか。バーナード・ショーのエッセー集大成本カ、「クリスマス・キャロル」。「ハロウィンがやってきた」は「クリスマス・キャロル」をやり直したもの。
・アーシュラ・K・グイン。確かに一流の人。見事な文章を書く。かなりファンタスティックな方向に行っている。
・ロバート・ハインライン。ヒューマニスト。本物の人間のことを書いた人。僕が軍隊に行かなかったので何年も口をきいてくれなかった。長い年月の後、和解した。
・ヴァン・ヴォクト。僕とは全然違うタイプの作家で書くSFも違っていた。いかにも科学と技術そのもので僕に言わせれば退屈。
・アシモフ。科学方面の天才でドライな傾向の書き方をした。でも人柄はいいんだ。とんでもないIQの持ち主でいて、ウディ・アレンみたいだろ。
・フィリップ・K・ディック。たとえ会ったばかりでも、なんだか生きるのが面倒くさそうだと分かる人。相当ネガティブな男だったね。
・シオドア・スタージョン。彼は変わった人だったけど、そこがいいんだな。
・「2001年宇宙の旅」。せめて10分でも時間を使って宇宙飛行士の人物紹介をしていたらHALによる殺害に重みが出てずっと出来が良くなっていただろう。 スタンリー・キューブリックは脚本の何たるかを分かっていない。まともなプロットがない。人物もだめ。映像と音楽の製作見本としてはすごいものだが。僕は クラークに二時間はカットしないといけないね、と言ったら翌週、一時間はカットされていたが、それでも長いと思った。全編で90分もあればいいだろう。3 時間もいらない。(一般公開の上映時間は141分だが、本書によるとブラッドベリは初日にワーナーブラザーズで4時間版を見ていると書いてあるので、一般試写前 のヴァージョンを見ているらしい。一時間カットが一般試写版だろう。公開版は一般試写から更に19分カットしている)
・一押しに挙げたいSF映画。「未知との遭遇」(スピルバーグはブラッドベリに「イット・ケイム・フロム・アウター・スペース」(ブラッドベリ原作の映画)を見たから「未知との遭遇」を製作したと語っている)
・「スター・ウォーズ」。三作までは素晴らしかった。「帝国の逆襲」が最高。禅の精神が入っているから。(リイ・ブラケットはブラッドベリの師のような存在)
・「スター・トレック」。あれはよかった。(シリーズの)脚本を頼まれたが、キャラもアイデアもロッデンベリーのものなので断わった。ブラッドベリは人からロッデンベリーとよく間違えられたという。

・広い宇宙には別の生命体も当然いると思う。
・すでに宇宙人が来たとは考えていない。
・光速が実現すればアンドロメダ星雲に行くことも可能と思う。
・タイムトラベルは無理。ちょっと有り得ない。

・これは2000年から2010年にかけて行われたインタビューだが、付録として1976年未発表となった「パリス・レヴュー」のインタビューが収録されている。同じことを語っている部分もあるが、語り口の違い(年齢と受け手の違いが主な要因でしょう)が興味深いです。
・ここで奇しくもヴォネガットがSF作家から純文学者として認められた人として、ブラッドベリとの立場の近さが言及されています。

・ブラッドベリが亡くなったのは今年(2012年)6月5日、91歳でした。本書の奥付は2012年6月10日のことです。もしかして実際の発売日にはまだ生きていたかも?








hirot15 at 01:12|PermalinkComments(0) その他読書 | SF

2012年07月28日

メサイア DD

金子修介監督 中村由利子音楽 荒井敦史、井上正大、木ノ本嶺浩、陳内将、松田悟志、逢沢りな、新田匡章、内山昴輝、木ノ本嶺浩、陣内将

・上に音楽を書いたのは、監督の最も好きな作品の一つ「1999年の夏休み」の音楽も彼女だったからです。そして、この映画の序盤部分、夏休みの数人(四人だっけ? 五人だっけ?)の話とは違うけど、やっぱり男子寮と共学の学校の話が、いかに馬鹿馬鹿しくとも久々に「1999年の夏休み」を彷彿とさせてくれて、とても嬉しかったのだけど。
・しかし中盤に入り、それまでの学芸会的青春ストーリーが学芸会的スパイ映画になってからはひどくて見ていられないモノになってしまった。確かに金子修介はこういうのも好きだけど、それならそれで、もう少し見応えのある作品にしてくれよ、と。TVシリーズだった「ホーリーランド」程度のレベルにはしてくれないと・・。

・前の「ばかもの」がそれなりだっただけに、最近の金子修介は落差が激しい。





hirot15 at 00:35|PermalinkComments(0) 映画 

2012年07月27日

空飛ぶタイヤ BB

監督:麻生学、鈴木浩介監督 前川洋一脚本 池井戸潤原作 仲村トオル 戸田菜穂 小清水一揮 大杉漣 柄本佑 大島蓉子 田辺誠一 本上まなみ 袴田吉彦 相島一之 尾野真千子 國村隼 井田國彦 ミムラ 萩原聖人 西岡徳馬 水野美紀 遠藤憲一 斎藤洋介 甲本雅裕 山口もえ

・WOWOWオンデマンドのライブラリで見ました。(前の「マグマ」は<見逃し>だったので期間限定、こちらは一応期間限定ではない) WOWOWで最初に放送されたときは録画だけしていて、その後、原作を読んだのだけど、録っておいたドラマは見ていなかった。録画済みDVDを探すより、こちらの方が手っ取り早い。(オンデマンド、お試しの興味もありますし)
・ドラマは原作を読んでいても(8ヶ月ほど前ですが)見応えがありました。主演の仲村トオルの渾身の演技と、相手のクレーム担当、敵の立場ながら自社の姿勢に疑問を持つ役柄を田辺誠一の毎度の誠意ありそうな中途半端演技(誉めているのです)、中途半端な役柄と言えば銀行員で出世コースの結婚間近にもかかわらず躊躇する役の萩原聖人は更に中途半端で適役と言えるでしょう。勿論、主役(正義)と、敵ながら自分の立場に躊躇する役柄(悪い事をしようとしている罪の意識)の向こうに、悪い事を悪い事と思わぬ本物の悪者がいる(國村隼、西岡徳馬)。最初の内部告発者役の尾野真千子は、「カーネーション」でブレイク前から役柄は小さいものの、今となっては異彩を放っている。(つい先日「はなまるカフェ」を見ましたが、硬派という意味では江角マキコを越える存在かもしれない。可愛くない存在感が、ハナマルで可愛らしさを見せていたのが良かった) そういう意味で逆に存在感があるキャラの筈なのに、それだけの存在感を出せていない水野美紀はちょっと可哀想(内部告発を受けて週刊誌に暴露記事を書こうとするが圧力で潰される女性記者)。
・そして、ドラマを見て改めて感心するのが、男たちの隣で存在感を出す女達の存在。仲村トオルの妻を演じる戸田奈緒は最初、夫の負け試合による家族の影響を思うが、息子の決意を指示して夫を全面的に支援する。この微妙ながら変化していく姿がいい。PTAで息巻く姿が美しい。単に最初から貴方の味方よ、ではこの味は出なかったでしょう。
・一方、中途半端に悩む夫の聞き手に徹する妻役本上まなみも良い。彼女が職業としても人生相談的ラジオパーソナリティをやっているのもいい。彼女は夫のどのような決断に対しても批判はしない。聞き手に徹している、というか、適切な助言をしても夫がそれに従わなくても非難はしない。
・三人目、銀行マン萩原聖人の婚約者役ミムラは、叔父が主人公の敵國村隼であり、姪である彼女の婚約者を引き立てるつもりで自分の会社担当にさせるが、そこで萩原聖人の悩みが始まる。萩原が両者の狭間で悩むように、実は彼女もまた叔父と婚約者の間に立たされているのだろう。彼女は他の二人の女達とは違って、彼女にそんな気はなくとも、夫の支えではなく、障壁として存在してしまっている。彼女にとって叔父は後ろ盾であり、叔父の行為に対する想像力を持てない女なのだ。だからその対立的存在として、前述の水野美紀がいるのだが。(水野美紀は萩原聖人の友人だが、ここでも萩原は彼女と会社の狭間に立っているわけだ)

・と、このように、原作は知っていても、そのキャスティングと演技を楽しみましたし、この作品自体に関係はなくても、これらの役者の最近の活躍と重ねてみると非常に面白い。例えばドラマWという意味では、先日の「マグマ」と共通するキャストとして、尾野真千子が主役で似たような戦う女を演じ、今回はやはり脇だった袴田吉彦は「マグマ」でも内部告発者役、大杉漣が味方の懐刀役から、「マグマ」では敵対する学者(原子力賛美者)に配置転換している。この作品で直接的被害者として妻を失った甲本は自分の責任を認めない主人公に制裁的損害賠償訴訟を起こすが、「マグマ」においては、学者側セカンドの位置で敵に寝返るか悩む科学者を演じていた。
・もう一つ。「37歳で医者になったぼく」では田辺誠一が同じく誠実な医者から政争を利用して理想を曲げる医師に扮し(今回とは逆の存在感)、今回、夫の枷になったミムラは、同じく敵の人質的存在ながら徹底して理想主義の夫を支援する妻を演じている。
・このように、勿論、役者として似たようなキャラが振られるのでしょうが、それぞれをどのように演じるか、興味深かったですね。

・最後にWOWOWオンデマンドについて。ほとんどはiPad画面で見ましたが、一部、iPhone4画面で見ました。「マグマ」で少し見た時は小さいと思いましたが、今回は、これもアリかな、と。見るモノにもよるのでしょうが。連携はよくとれていて、ちゃんとiPadで見た続きから見る事が出来る。ただし、連携がとれ過ぎているからか、Iphoneで見た直後に、iPadで続きを見ようとしたら、同時に二つのメディアでは見れない旨のメッセージが出て見れませんでした。少し時間をあけなければいけないみたい。具体的にどれくらい待てばいいのかはまだ分かりませんが、10分やそこらでは駄目みたい。


hirot15 at 00:48|PermalinkComments(0) TV 

2012年07月26日

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム CC

ガイ・リッチー監督 ジュード・ロウ、ロバート・ダウニー・Jr、ノオミ・ラパス、ジャレッド・ハリス、レイチェル・マクアダムズ、スティーブン・フライ、ケリー・ライリー、ジェラルディン・ジェームズ、ポール・アンダーソン[俳優]

・続編で、モリアティ教授との全面対決です。モリアティがジャレット・ハリス(リチャード・ハリスの息子)とはちょっと弱いんじゃないの、と心配しましたが、まあアンソニー・パーキンスあたりがやるよりよけいな先入観がなくていいのかも。一方、前作のヒロイン、アイリーン・アドラーの顛末に唖然としながらも新ヒロインに「ミレニアム」のノオミ・ラパスとは、ちょっと嬉しい。それなりに面白いヒロインになっている。終盤にもう少し活躍して欲しかったけど。
・ますますエキセントリックなホームズですが、前作に続く脳内シミュレーションのことをシャドウゲーム(本作のタイトル、正確にはGame of Shadow)というのですね。ここらのアクションは面白いし、列車内アクションもそれなりだが、しかし後半の武器工場からその脱出アクションはちょっと間延びしていまいちダレる。列車までの闘争シーンの描写は感心しないし、その前の塔が倒れるシーンは、出来過ぎでしかない。最後のライヘンバッハが舞台となってもう一度持ち直すから良かったけど。(こちらはほぼ完璧な展開)
・このクライマックスで、モリアティもまたホームズと同じくシャドウゲームをやることが出来、負傷している分、ホームズの敗北が確定的になるシーン、そしてそれに対するホームズの対処は見事な展開ですね。それにチェスが重なって、(チェスの展開はまるで分かりませんが)、かなり上手い構成になっていた。
・これで完結としてしまえば奇麗だったけど、最後のオチは微妙ですね。郵便が送られてきたあたりで終った方が良かった? まあ、楽しいから許すか。

Zom's

正編





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2012年07月25日

双頭のバビロン BB

皆川博子著

・ウィーン、ハリウッド、上海からベルリン。東西の頽廃都市を盤面とした光と影の双生児を巡る、複雑怪奇な運命の遊戯…
・「開かせていただき光栄です」に続き、何とも重量級が続く。二段組み540p。何となく勝手にナチ関係のストーリーかと思っていたら、全然違っていた。俳優から監督に転向したゲオルグ・グリースバッハの自伝(メイベル・ロウの宣伝用)の口述筆記という形で始まるこの物語は次々と語り手を交代して、それと共に時代も前後していく。
・このゲオルグがデキモノの切除として語ったのは、実は彼がシャム双生児でその片割れと切り離された過去があるからだ。彼はユリアンと呼ばれていたその片割れのその後の消息は知らないが、やがてその存在が彼に作用しようとしていることを感じだす。(シナリオを書いている最中に全く思ってもいなかったことが書かれてしまう) 彼はグリースバッハ家の跡取りとして育てられるが、決闘騒ぎが災いして、新大陸アメリカに逃げなければならなくなった。そこで俳優からやがて有名監督になって、このような自伝を出す事になるのだが。
・一方、ユリアンの方もゲオルグとは全く違った成長をしていた。芸術家の家という施設で彼らの切除手術をしたヴァルターという医師に育てられていたのだ。ヴァルターにはユリアンを育てる事にある目的を持っていた。
・ゲオルグはアメリカではハリウッドの監督として名声を得出していたが、本国ではアメリカに渡った直後、殺されたと思われており、それを利用して戸籍の無い(存在ではなく法律的に非在である)ユリアンがゲオルグに成り代わろうとしたり、ゲオルグという名の下、双子は相手の現状を知らないまま、それぞれに生きていく。やがて、ユリアンが監督として名声を得ているゲオルグの存在(しかも彼は自分と瓜二つ!)を知ったとき・・・・
・双子の精神感応というオカルティックな素材は扱っているものの、それ以外はルール違反を行わず見事に複雑な構成をこなした作品。(ただし結末のみは別だが)
・僕は特にユリアンの親友ツヴェンゲルの存在が面白かった。彼のゲオルグとの関わり合いは驚愕もの。面白いのは形式的図式だけでなく、そこに複雑な心理関係があることだ。そういえば、この物語はほとんど最初から最後までそれぞれの生死が判別し難くなっている。
・ちょっと急いだのかな、と感じたのは、上海での一つのクライマックス。ここに一同(予想外のものまで)に介すのだが、この二転三転がかなり急いだ書き方に感じたのだが。それ以降は、そこまでのじっくりした展開から急展開していく。作者自身がクライマックスの勢いを付けたかったのかもしれない。僕としてはもう少しじっくりと描いて欲しかった気もするのだが。
・そういえば、只一つ、<大観里>のフィルムの真相は、僕は読み落としてしまったのだろうか?

・サイレント時代のハリウッド映画界を描いている点でも興味深いのですが、ゲオルグ・グリースバッハの映画界での経歴はエーリッヒ・シュトロンハイムを参考にしたそうです。

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hirot15 at 01:03|PermalinkComments(0) 小説