2011年02月
2011年02月27日
のんのんばあとオレ AA
水木しげる著
・今更なんですが、ドラマとかで部分的に見たり、この漫画自体も部分的に読んだ記憶もあるし、多分、水木漫画の中で最も「ゲゲゲの女房」と重なるのではないかと思うのですが。(自伝は除いて、ですが、味わいとしてはこちらの方が重なると思う)
・本書を読み終えて、ああ、これは三つの悲恋物語なんだ、と。最初の女の子の死はあまりにあっさりし過ぎていて「?」な後味のまま通り過ぎてしまうのだけど、後の二人はそれぞれに強烈。どちらも意味は違うが、あまりにも水木らしい幻想的体験。鬼太郎でも地獄までつき合う話は何度もあるけど、本書の見送りは全く方向性が違うそれだろう。後者は死に別れではないが、ある意味より悲惨な結末にも関わらず、何故か明るい余韻と、後日談の面白さ。著者にとって四人目の女がゲゲゲの女房なのでしょうか。(いや、南国にも一人いたっけ?) 彼女との今に至る長い連れ添いが前三人の悲恋を慰めます。
・その他、イカル(母親の方)は竹下景子といまいち重なりませんが(ただし家柄の口癖は重なる)、父親の方は、まさに風間杜夫のそれ、そのままでとても良い味。のんのんばあの決して主人公ではない配置も絶妙ですね。
・あと、もう一つ突出しているのは、ガキ大将の地位争いと「相手なし」という今で言ういじめのエピソード。のんのんばあ自体が何と無い存在感で終るのに反して、実は悲恋からいじめにいたるまで、これほどきっちりと終る水木漫画は、実は最高傑作なのではないかと思ったりして。
・今更なんですが、ドラマとかで部分的に見たり、この漫画自体も部分的に読んだ記憶もあるし、多分、水木漫画の中で最も「ゲゲゲの女房」と重なるのではないかと思うのですが。(自伝は除いて、ですが、味わいとしてはこちらの方が重なると思う)
・本書を読み終えて、ああ、これは三つの悲恋物語なんだ、と。最初の女の子の死はあまりにあっさりし過ぎていて「?」な後味のまま通り過ぎてしまうのだけど、後の二人はそれぞれに強烈。どちらも意味は違うが、あまりにも水木らしい幻想的体験。鬼太郎でも地獄までつき合う話は何度もあるけど、本書の見送りは全く方向性が違うそれだろう。後者は死に別れではないが、ある意味より悲惨な結末にも関わらず、何故か明るい余韻と、後日談の面白さ。著者にとって四人目の女がゲゲゲの女房なのでしょうか。(いや、南国にも一人いたっけ?) 彼女との今に至る長い連れ添いが前三人の悲恋を慰めます。
・その他、イカル(母親の方)は竹下景子といまいち重なりませんが(ただし家柄の口癖は重なる)、父親の方は、まさに風間杜夫のそれ、そのままでとても良い味。のんのんばあの決して主人公ではない配置も絶妙ですね。
・あと、もう一つ突出しているのは、ガキ大将の地位争いと「相手なし」という今で言ういじめのエピソード。のんのんばあ自体が何と無い存在感で終るのに反して、実は悲恋からいじめにいたるまで、これほどきっちりと終る水木漫画は、実は最高傑作なのではないかと思ったりして。
2011年02月25日
ある小さなスズメの記録 CC
ある小さなスズメの記録−人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯−
クレア・キップス著 梨木香歩訳
・週刊ブックレビューで取り上げられたのと(室井滋がレビュアー)、やっぱり訳者が気になって読んでみたのですが、訳者に関しては後書きも含めてあまりピンときませんでした。それよりも原書解説のジュリアン・ハクスレーの方が面白かった。これは本文読後の再確認(反芻)としても良かったし。
・本文自体は、正直、題材的に元々興味がなかったので、興味深い部分は面白く、そうでない部分はちょっと苦痛だった。文章自体もちょっと会わない感じ。まあ感情移入の度合いが浅かったのだと思いますが。何故か、バラエティに富んだ青春時代より、それらが衰えた老年期、特に発作後の方がすらりと読めた。それは死に近くなり可哀想、とかそういうのではなく、(勿論、臨終シーンはあっさりしていてもグッとくるが)、なんでだろう、と我ながら不思議だったが、ハクスレーの文章でもそこの部分を意外に重要視していて、あ、やっぱりそうなんだ、という感じ。シャンパンの話とか、ホッピングでなくウォーキングとか。確かに歩く雀は見た事が無い。
・勿論、生まれたばかりで飼い始める事が出来、しかも野生に返しても生きていけない故に飼い続けたという事情の重なりは奇跡的で、おそらくプリンティングから、芸を覚え(こちらは一時みんなの戦時の慰めとなる)、歌を覚え(こちらは一度きりの公開コンサートだった)、更に環境と本能の葛藤が見て取れるあたりは面白いのですが。写真が老年期に入ってから記録する事を思いついたというのも残念ですが(それでもその時の写真は掲載されている)、何より歌の録音がないのが残念ですね。
・でもやっぱり、動物は死を看取らなければならないのが嫌だなぁ。繰り返すけど、本書の臨終に対するあっさりは救いです。その後に解説がついて死を引きずらないのも。
クレア・キップス著 梨木香歩訳
・週刊ブックレビューで取り上げられたのと(室井滋がレビュアー)、やっぱり訳者が気になって読んでみたのですが、訳者に関しては後書きも含めてあまりピンときませんでした。それよりも原書解説のジュリアン・ハクスレーの方が面白かった。これは本文読後の再確認(反芻)としても良かったし。
・本文自体は、正直、題材的に元々興味がなかったので、興味深い部分は面白く、そうでない部分はちょっと苦痛だった。文章自体もちょっと会わない感じ。まあ感情移入の度合いが浅かったのだと思いますが。何故か、バラエティに富んだ青春時代より、それらが衰えた老年期、特に発作後の方がすらりと読めた。それは死に近くなり可哀想、とかそういうのではなく、(勿論、臨終シーンはあっさりしていてもグッとくるが)、なんでだろう、と我ながら不思議だったが、ハクスレーの文章でもそこの部分を意外に重要視していて、あ、やっぱりそうなんだ、という感じ。シャンパンの話とか、ホッピングでなくウォーキングとか。確かに歩く雀は見た事が無い。
・勿論、生まれたばかりで飼い始める事が出来、しかも野生に返しても生きていけない故に飼い続けたという事情の重なりは奇跡的で、おそらくプリンティングから、芸を覚え(こちらは一時みんなの戦時の慰めとなる)、歌を覚え(こちらは一度きりの公開コンサートだった)、更に環境と本能の葛藤が見て取れるあたりは面白いのですが。写真が老年期に入ってから記録する事を思いついたというのも残念ですが(それでもその時の写真は掲載されている)、何より歌の録音がないのが残念ですね。
・でもやっぱり、動物は死を看取らなければならないのが嫌だなぁ。繰り返すけど、本書の臨終に対するあっさりは救いです。その後に解説がついて死を引きずらないのも。
2011年02月23日
嗤うエース CC
本城雅人著
・「スカウトデイズ」「ノーバディノウズ」「ダブル」と読んできた著者の、多分現在のところ未読だった単行本最後の一冊。「ダブル」で競馬に寄り道したものの(と言っても記者時代は競馬も担当していたとの事ですが)、再び野球に戻った一作。「ノーバディノウズ」が大リーグを舞台に天才打者の裏面を描いた作品だったのに対し、今度はそれこそ子供の野球からプロ野球までを通して八百長と天才投手の関係を描いた作品で、作者のこれまでの作品の軌跡から見れば見事な構成と思います。ただし、同じ構成でも作品自体の構成という意味では一つの対象を多角的に描いていくというのは全作品同じで、ちょっと飽きてきている事も否めない。そろそろ別の手法に挑戦してみては、と思います。
・ただ、そうは言っても構成自体は見事。12歳から27歳(小六からプロの中堅)まで、刑事、中学の友人、高校の友人、それに後半は妹の視点も加えて、天才投手波岡を描いていく。特に後半、二人の友人のかたや親友として残り、かたや彼の不正を暴こうとする雑誌記者として対立する構図は見事。ただ、見事さはひとつズレればあざとさにもつながり、刑事が主人公と同じように父親が賭博で味を持ち崩して家族を残して自殺している(ちなみに親友の父親も政治汚職で家族を苦しめている)ところまでいくと、読みながら作り過ぎだなあ、と思ってしまうのですが。
・それでも、そう思いながら読んでいくと、このクライマックスから結末にかけては、著者に対して、また「仕掛けられた!」と思ってしまう。これが前述した著者の全作品を俯瞰しての構図の上手さ、ということです。「ノーバディノウズ」の天才打者に対して、感心しながらももうひとつ納得出来ないのに対して、僕はこの波岡という投手に対してはかなりの尊敬すら感じてしまいます。これぞ、正義と堕落の逆転、と書くと半分中身を推測出来そうですが、それほど簡単ではないので、念のため。単に姿勢の問題です。(覚書として書いておくと、中学の友人は不良にたかられているところを波岡に助けられている、高校の友人は波岡と関係ないところで友人の不正に対して毅然とした態度を取れない、というところがその後の人生に反映していると言えるでしょう)
・カリフォルニア、という夢は、「真夜中のカーボーイ」を思い出しますね。夢のようであって、どちらも実はほとんどカリフォルニアに辿り着こうとしているのです。
HIDE.O's
記者像が卑しく描かれているのは、記者の実態というより、配置のせいと思います。卑しくというよりかなり裏も表も知っている、という。「スカウトデイズ」を読むと分かるし、「ノーバディノウズ」を読むと本作の裏返しに気がつきます。
殺してしまうのは、というのはまあそうなんですが、「真夜中のカーボーイ」を思い出せば同じではなく、しかし「その夢」というのは上手く描かれたと思います。
・「スカウトデイズ」「ノーバディノウズ」「ダブル」と読んできた著者の、多分現在のところ未読だった単行本最後の一冊。「ダブル」で競馬に寄り道したものの(と言っても記者時代は競馬も担当していたとの事ですが)、再び野球に戻った一作。「ノーバディノウズ」が大リーグを舞台に天才打者の裏面を描いた作品だったのに対し、今度はそれこそ子供の野球からプロ野球までを通して八百長と天才投手の関係を描いた作品で、作者のこれまでの作品の軌跡から見れば見事な構成と思います。ただし、同じ構成でも作品自体の構成という意味では一つの対象を多角的に描いていくというのは全作品同じで、ちょっと飽きてきている事も否めない。そろそろ別の手法に挑戦してみては、と思います。
・ただ、そうは言っても構成自体は見事。12歳から27歳(小六からプロの中堅)まで、刑事、中学の友人、高校の友人、それに後半は妹の視点も加えて、天才投手波岡を描いていく。特に後半、二人の友人のかたや親友として残り、かたや彼の不正を暴こうとする雑誌記者として対立する構図は見事。ただ、見事さはひとつズレればあざとさにもつながり、刑事が主人公と同じように父親が賭博で味を持ち崩して家族を残して自殺している(ちなみに親友の父親も政治汚職で家族を苦しめている)ところまでいくと、読みながら作り過ぎだなあ、と思ってしまうのですが。
・それでも、そう思いながら読んでいくと、このクライマックスから結末にかけては、著者に対して、また「仕掛けられた!」と思ってしまう。これが前述した著者の全作品を俯瞰しての構図の上手さ、ということです。「ノーバディノウズ」の天才打者に対して、感心しながらももうひとつ納得出来ないのに対して、僕はこの波岡という投手に対してはかなりの尊敬すら感じてしまいます。これぞ、正義と堕落の逆転、と書くと半分中身を推測出来そうですが、それほど簡単ではないので、念のため。単に姿勢の問題です。(覚書として書いておくと、中学の友人は不良にたかられているところを波岡に助けられている、高校の友人は波岡と関係ないところで友人の不正に対して毅然とした態度を取れない、というところがその後の人生に反映していると言えるでしょう)
・カリフォルニア、という夢は、「真夜中のカーボーイ」を思い出しますね。夢のようであって、どちらも実はほとんどカリフォルニアに辿り着こうとしているのです。
HIDE.O's
記者像が卑しく描かれているのは、記者の実態というより、配置のせいと思います。卑しくというよりかなり裏も表も知っている、という。「スカウトデイズ」を読むと分かるし、「ノーバディノウズ」を読むと本作の裏返しに気がつきます。
殺してしまうのは、というのはまあそうなんですが、「真夜中のカーボーイ」を思い出せば同じではなく、しかし「その夢」というのは上手く描かれたと思います。