2008年11月
2008年11月30日
浜崎あゆみアジアツアー2008
TBSチャンネルの浜崎あゆみライヴを堪能しました。これを観る為にTBSチャンネルの契約をしました。出来る限り浜崎あゆみのライヴは(TVで)観るし、更に録画したものでもDVDが出たら買ってしまう。だからと言って普段それを繰り返し観るということはないのですが。iPodの第五世代を買ったときは浜崎あゆみの持っている全曲を入れて満足していた。他に全曲入れているのは山口百恵だけです。どちらもさすがにiPhoneに全曲入れることは出来ませんが。
山口百恵は既に伝説の域に入っていて、まさに菩薩ですが、浜崎あゆみはこれから、というか、既に人気的には下り坂でしょう。しかし僕にとっては多分、永遠です。残念ながら曲的にも全盛時の質感はなく、実際、僕が浜崎あゆみを知ったときは既に全盛時ぎりぎりだったと思うのだけど、しかし今日のライヴを見ても、近作でも良い曲は沢山あることが確認出来る。
ここでこれ以上、僕の浜崎あゆみに対する想いを書いても過去に書いたものの重複となってしまうので、これ以上は書かないが、浜崎あゆみに対する想いが全く変わっていないことは自覚する。
そして、今回のライヴはある意味、完璧でした。ほとんど音程が狂うこともなく、泣けるところをこらえるところまで、まさに完璧。素晴らしいライヴを堪能しました。
山口百恵は既に伝説の域に入っていて、まさに菩薩ですが、浜崎あゆみはこれから、というか、既に人気的には下り坂でしょう。しかし僕にとっては多分、永遠です。残念ながら曲的にも全盛時の質感はなく、実際、僕が浜崎あゆみを知ったときは既に全盛時ぎりぎりだったと思うのだけど、しかし今日のライヴを見ても、近作でも良い曲は沢山あることが確認出来る。
ここでこれ以上、僕の浜崎あゆみに対する想いを書いても過去に書いたものの重複となってしまうので、これ以上は書かないが、浜崎あゆみに対する想いが全く変わっていないことは自覚する。
そして、今回のライヴはある意味、完璧でした。ほとんど音程が狂うこともなく、泣けるところをこらえるところまで、まさに完璧。素晴らしいライヴを堪能しました。
闇の曲がり角 CC
ヘンリー・ハサウェイ監督 ルシル・ポール クリフトン・ウェップ ウィリアム・ベンディックス マーク・スティーブンス クルト・クリューガー
最初はちょっとタルいと思ったけど、まあまあの出来でした。過去のある探偵。その過去につきまとわれ、それを振り払おうとするが、そこには更に深い陰謀があった。そんな探偵の支えとなる探偵助手がルシル・ポール(ルーシー・ショーの人、と言っても分かるのは僕より上の世代だけ(?)です。
中盤からの展開は悪くないし、結末も、まあまあというところ。笛を吹く少女とか、うまく印象づける演出も悪くない。
ヘンリー・ハサウェイという監督は、「死の接吻」(リチャード・ウィドマークが印象的)「ナイアガラ」(モンロー)「ネバダ・スミス」(スティーヴ・マックイーンの出世作、と思う)あたりしか印象にないけど、本作もまあ小品、佳作と言っていいと思います。
最初はちょっとタルいと思ったけど、まあまあの出来でした。過去のある探偵。その過去につきまとわれ、それを振り払おうとするが、そこには更に深い陰謀があった。そんな探偵の支えとなる探偵助手がルシル・ポール(ルーシー・ショーの人、と言っても分かるのは僕より上の世代だけ(?)です。
中盤からの展開は悪くないし、結末も、まあまあというところ。笛を吹く少女とか、うまく印象づける演出も悪くない。
ヘンリー・ハサウェイという監督は、「死の接吻」(リチャード・ウィドマークが印象的)「ナイアガラ」(モンロー)「ネバダ・スミス」(スティーヴ・マックイーンの出世作、と思う)あたりしか印象にないけど、本作もまあ小品、佳作と言っていいと思います。
2008年11月29日
奇妙な人生 BB
スティーブン・ドビンズ著
例によって桜庭一樹が薦められて面白かった本、ということで、読んでみたらなるほど、これはちょっと凄い。
南米の某国、主人公は半年に一度開かれる恒例の同窓会に出席するが、間が悪く、暴動が起こっていて、出席したのは主催者以外三人だけ、しかも彼らは暴動のため、そこから出られなくなる。外の暴動のさなか、家の中では豪華な食事と主催者が飾っていた写真の女との想像を絶する顛末が語られていくが、それは三人の出席者にとっても他人事ではなくなっていく。
この主催者は学生時代、一度に同級生全員の筆卸をしてやったようなリーダーであり、誰もが一目置き、その後も外科医として一番の出世頭だったが、一方で、実は出席者全員の女を寝取るようなプレイボーイでもあった。そんな彼に唯一なびかなかった女が写真の女であり、それは彼の道をどんどん外させていく。そこに描かれたものは、出席者全員と共に、読者も驚嘆させるが、出席者にとってはそれだけでは済まされないのだ。そして同時進行で、暴動の方もエスカレートし、ついには彼らの家の中にまで。
強烈な小説です。単に背徳の性生活の告白の筈が、出席者一人一人の仮面まで剥ぎ取り、最後には傍観者である筈の語り手の仮面まで毟り取る。そしてその結末は。
しかし寝取った男に寝取られた妻を放り出したことについてお説教はされたくないよね。
**
本書の展開と直接関係はないのだが、出席者の一人が語るエピソードが、この後読んだ本と呼応していたので書いておく。(その本を読んだ時、このエピソードをすぐに思い出したのだが、最近何で読んだか、思い出すのにちょっと苦労した。歳です。でも、繰り返しますが、本書の本筋とは関係なかったので、結びつくのに時間がかかったのです)
それはある政治犯で刑務所に入った作家の話。作家の隣は自称ユーゴスラビア人だった。作家は刑務所の退屈を紛らわすため、隣の男からセルビア語を習うことにする。やがて二人はセルビア語で会話が出来るようになり、隣の男はベオグラードの街並を話してくれ、一方作家は男の話すベオグラードの街に憧れ、セルビア語で自身の最高傑作の詩を作るまでになる。八年の後、作家は釈放され、ついに憧れのベオグラードを訪れるが、そのベオグラードは隣の男が話してくれた街とは似ても似つかず、またセルビア語も習った言語とは全く違う言語だった。隣の男は作家に全く架空の言語と架空の街並を教えていたのだった。そして作家の最高傑作の詩は、別の言語に翻訳すると汚い響きになってしまい、作家は自分の最高傑作の詩まで失ってしまう、という話。
このエピソードとの関連性は、機会があれば「血液と石鹸」の評で書きます。
例によって桜庭一樹が薦められて面白かった本、ということで、読んでみたらなるほど、これはちょっと凄い。
南米の某国、主人公は半年に一度開かれる恒例の同窓会に出席するが、間が悪く、暴動が起こっていて、出席したのは主催者以外三人だけ、しかも彼らは暴動のため、そこから出られなくなる。外の暴動のさなか、家の中では豪華な食事と主催者が飾っていた写真の女との想像を絶する顛末が語られていくが、それは三人の出席者にとっても他人事ではなくなっていく。
この主催者は学生時代、一度に同級生全員の筆卸をしてやったようなリーダーであり、誰もが一目置き、その後も外科医として一番の出世頭だったが、一方で、実は出席者全員の女を寝取るようなプレイボーイでもあった。そんな彼に唯一なびかなかった女が写真の女であり、それは彼の道をどんどん外させていく。そこに描かれたものは、出席者全員と共に、読者も驚嘆させるが、出席者にとってはそれだけでは済まされないのだ。そして同時進行で、暴動の方もエスカレートし、ついには彼らの家の中にまで。
強烈な小説です。単に背徳の性生活の告白の筈が、出席者一人一人の仮面まで剥ぎ取り、最後には傍観者である筈の語り手の仮面まで毟り取る。そしてその結末は。
しかし寝取った男に寝取られた妻を放り出したことについてお説教はされたくないよね。
**
本書の展開と直接関係はないのだが、出席者の一人が語るエピソードが、この後読んだ本と呼応していたので書いておく。(その本を読んだ時、このエピソードをすぐに思い出したのだが、最近何で読んだか、思い出すのにちょっと苦労した。歳です。でも、繰り返しますが、本書の本筋とは関係なかったので、結びつくのに時間がかかったのです)
それはある政治犯で刑務所に入った作家の話。作家の隣は自称ユーゴスラビア人だった。作家は刑務所の退屈を紛らわすため、隣の男からセルビア語を習うことにする。やがて二人はセルビア語で会話が出来るようになり、隣の男はベオグラードの街並を話してくれ、一方作家は男の話すベオグラードの街に憧れ、セルビア語で自身の最高傑作の詩を作るまでになる。八年の後、作家は釈放され、ついに憧れのベオグラードを訪れるが、そのベオグラードは隣の男が話してくれた街とは似ても似つかず、またセルビア語も習った言語とは全く違う言語だった。隣の男は作家に全く架空の言語と架空の街並を教えていたのだった。そして作家の最高傑作の詩は、別の言語に翻訳すると汚い響きになってしまい、作家は自分の最高傑作の詩まで失ってしまう、という話。
このエピソードとの関連性は、機会があれば「血液と石鹸」の評で書きます。
2008年11月28日
ハリウッド版鉄腕アトムの予告
批判殺到などという記事も出ていますが、
アトムの目がサーチライトになるのは原作にもあるし、非常に上手く描けていると思う。それより、天馬やお茶の水博士のいかにもCGっぽい造形の方ががっくりくる。更にアトムの奇声よりも、造形、これじゃまるで「トイ・ストーリー」のウッディじゃない。
先に書いたようにサーチライトを発しながら地表を掘り進むアクション描写が素晴らしいだけに(服を着て飛ぶのはいいとして、地中に潜ったところで破れて脱げて欲しいですが、それよりも)、なんで人物をわざと作り物っぽくするのか? いつもCGアニメを見ながら不思議に思う。
予告
アトムの目がサーチライトになるのは原作にもあるし、非常に上手く描けていると思う。それより、天馬やお茶の水博士のいかにもCGっぽい造形の方ががっくりくる。更にアトムの奇声よりも、造形、これじゃまるで「トイ・ストーリー」のウッディじゃない。
先に書いたようにサーチライトを発しながら地表を掘り進むアクション描写が素晴らしいだけに(服を着て飛ぶのはいいとして、地中に潜ったところで破れて脱げて欲しいですが、それよりも)、なんで人物をわざと作り物っぽくするのか? いつもCGアニメを見ながら不思議に思う。
予告
もしも私が大統領だったら CC
バリー・レビンソン監督 ロビン・ウィリアムズ, ローラ・リニー, クリストファー・ウォーケン ジェフ・ゴールドブラム ルイス・ブラック デヴィッド・アルペイ ティナ・フェイ エイミー・ポーラー リック・ロバーツ
久々のレビンソン。日本未公開? もしかしてオバマによる大統領選人気に乗っかってのDVDリリース? レビンソンとしては「ワグ・ザ・ドッグ」を思い出す系統の作品かな。
コメディアンがノリで自分が大統領になったらと言ったのが、予想外に大衆から支持されて本当に大統領選に立候補してしまうが、一方、大統領選に電子投票を導入した時、そのプログラムにバグがあることをヒロインが発見するが、プログラム提供会社の上層部はそれを握りつぶし、それにより、本当にコメディアンが当選してしまう。事実を暴露しようとしたヒロインを上層部は麻薬中毒に仕立てて抹殺しようとする。誰にも信用されない立場になったヒロインは最後の手段として、当選したコメディアン自身に接近する。
久々にロビン・ウィリアムスが本業のコメディアンを活かして好演、これにより一見、この作品はコメディと言っても不思議は無い作品となっている。(実際、DVDリリース会社の宣伝としてはコメディというジャンルで扱っている) しかし実質的にはそれなりに出来の良いポリティカル・サスペンス、サスペンスもあれば、政治的でもあり、またしっかり人間ドラマにもなっている。
とにかく、落選した大統領候補に接近するのでなく、当選したコメディアンに真実を告げにいくというのが意表をついている逆リアリティでしょう。落選側に接近したら凡庸なサスペンスで終っていた。ただし、絶賛とはいえず、何か一つ物足りなさもある。もう一歩、最後の踏み込みが足りないか。そう、勿論、サスペンス色を強めればいくらでも強められただろうが。そこでコメディの要素を残し、人間ドラマの要素を残したところが、両刃の刃となっているのだろう。
ソフト会社が、何となくマイクロソフト(とビル・ゲイツ)を思い出させますね。ジェフ・ゴールドブラム、久々。ロバート・デ・ニーロとビリー・クリスタルがTVのCMで映るが、これはレビンソンが演出した本当に流されたCMだそうです。
久々のレビンソン。日本未公開? もしかしてオバマによる大統領選人気に乗っかってのDVDリリース? レビンソンとしては「ワグ・ザ・ドッグ」を思い出す系統の作品かな。
コメディアンがノリで自分が大統領になったらと言ったのが、予想外に大衆から支持されて本当に大統領選に立候補してしまうが、一方、大統領選に電子投票を導入した時、そのプログラムにバグがあることをヒロインが発見するが、プログラム提供会社の上層部はそれを握りつぶし、それにより、本当にコメディアンが当選してしまう。事実を暴露しようとしたヒロインを上層部は麻薬中毒に仕立てて抹殺しようとする。誰にも信用されない立場になったヒロインは最後の手段として、当選したコメディアン自身に接近する。
久々にロビン・ウィリアムスが本業のコメディアンを活かして好演、これにより一見、この作品はコメディと言っても不思議は無い作品となっている。(実際、DVDリリース会社の宣伝としてはコメディというジャンルで扱っている) しかし実質的にはそれなりに出来の良いポリティカル・サスペンス、サスペンスもあれば、政治的でもあり、またしっかり人間ドラマにもなっている。
とにかく、落選した大統領候補に接近するのでなく、当選したコメディアンに真実を告げにいくというのが意表をついている逆リアリティでしょう。落選側に接近したら凡庸なサスペンスで終っていた。ただし、絶賛とはいえず、何か一つ物足りなさもある。もう一歩、最後の踏み込みが足りないか。そう、勿論、サスペンス色を強めればいくらでも強められただろうが。そこでコメディの要素を残し、人間ドラマの要素を残したところが、両刃の刃となっているのだろう。
ソフト会社が、何となくマイクロソフト(とビル・ゲイツ)を思い出させますね。ジェフ・ゴールドブラム、久々。ロバート・デ・ニーロとビリー・クリスタルがTVのCMで映るが、これはレビンソンが演出した本当に流されたCMだそうです。
2008年11月27日
ルパンの消息 CC
水谷俊之演出 上川隆也/岡田義徳/佐藤めぐみ/新井浩文/柏原収史/吹越満/宮地真緒/津田寛治/遠藤憲一/羽田美智子/長塚京三/塩見三省
僕の嫌いな横山秀夫原作のWOWOWドラマ。横山原作では「震度0」も同じドラマWで製作されているが、こちらは横山の処女作らしい。「半落ち」は最初から最後まで馬鹿馬鹿しく、「震度0」は結末が馬鹿馬鹿し過ぎ、「クライマーズ・ハイ」は題材のズレが腹立たしく、更にその描写の大仰さにうんざりしたが、本作は処女作らしく、少しは考えて作っているという印象。ここにもいくつかの無理はあるものの(例えば時効成立まで指紋等の証拠が残ったままの金庫なんて有り得ないと思う。廃品ではなく、使用され続けてだ)、しかし全体的な流れとしては、最後まで興味を持続させます。ただし、オチは相変わらずミエミエですが、同じミエミエでも、「まさかそこまで馬鹿じゃないだろう」というほどひどくはなく、一応、ドラマはちゃんと作っているから許してやろうと思える程度と言っていいだろう。
三億円事件から始まり、その時効成立と同時期、女教師の校舎屋上からの転落事件があった。初めは自殺かと思われたが実は殺人で、今度はそちらの時効も間近に迫っている。そんな時、ルパン計画という情報がもたらされ、三人の容疑者が浮上する。しかしそのルパン計画とは、学生による試験問題盗難計画だった。しかし彼らは事件について何か隠している。一つに、彼らがたむろしていた「ルパン」という喫茶店の主人は三億円事件の最後の容疑者だった男だったということ。もう一つは、彼らの同級生の自殺。思わぬところから徐々に真相に近づいていく。展開は悪くない。著者お得意の警察機構の描写も、冒頭に少し嫌味さがでるものの、全体としては(それが主眼でないこともあり)気になる物ではない。まあここにもちょっとご都合主義はあるけれど。
佐藤めぐみが密かに好演、ただし、表に出たところで調子は落ちるが。逆に、遠藤憲一はさりげなくテンションを持続する。
これはまあ、これでいいんじゃないでしょうか。
僕の嫌いな横山秀夫原作のWOWOWドラマ。横山原作では「震度0」も同じドラマWで製作されているが、こちらは横山の処女作らしい。「半落ち」は最初から最後まで馬鹿馬鹿しく、「震度0」は結末が馬鹿馬鹿し過ぎ、「クライマーズ・ハイ」は題材のズレが腹立たしく、更にその描写の大仰さにうんざりしたが、本作は処女作らしく、少しは考えて作っているという印象。ここにもいくつかの無理はあるものの(例えば時効成立まで指紋等の証拠が残ったままの金庫なんて有り得ないと思う。廃品ではなく、使用され続けてだ)、しかし全体的な流れとしては、最後まで興味を持続させます。ただし、オチは相変わらずミエミエですが、同じミエミエでも、「まさかそこまで馬鹿じゃないだろう」というほどひどくはなく、一応、ドラマはちゃんと作っているから許してやろうと思える程度と言っていいだろう。
三億円事件から始まり、その時効成立と同時期、女教師の校舎屋上からの転落事件があった。初めは自殺かと思われたが実は殺人で、今度はそちらの時効も間近に迫っている。そんな時、ルパン計画という情報がもたらされ、三人の容疑者が浮上する。しかしそのルパン計画とは、学生による試験問題盗難計画だった。しかし彼らは事件について何か隠している。一つに、彼らがたむろしていた「ルパン」という喫茶店の主人は三億円事件の最後の容疑者だった男だったということ。もう一つは、彼らの同級生の自殺。思わぬところから徐々に真相に近づいていく。展開は悪くない。著者お得意の警察機構の描写も、冒頭に少し嫌味さがでるものの、全体としては(それが主眼でないこともあり)気になる物ではない。まあここにもちょっとご都合主義はあるけれど。
佐藤めぐみが密かに好演、ただし、表に出たところで調子は落ちるが。逆に、遠藤憲一はさりげなくテンションを持続する。
これはまあ、これでいいんじゃないでしょうか。
2008年11月26日
西の魔女が死んだ BB
長崎俊一監督 サチ・パーカー 高橋真悠 りょう 大森南朋 高橋克実 木村祐一
梨木香歩原作。気になっていたけど、現時点で未読です。本作を観て、改めて読みたいと思いましたが。(買ってあるけど積ん読状態だった)
登校拒否少女がしばらくの間、おばあちゃんの田舎で過ごした日々。おばあちゃんし実は魔女であることを告白し、やがて少女の魔女修行が始まる、という展開。全く内容を知らず、まあおばあちゃんが魔女なのだろうことは想像がついたが、おばあちゃんはとてもやさしく、決して叱らず、いつも誉め、しかし段々と少女は健全になっていく。田舎の暮らしの描写とともに、二人の触れ合いはとても心地よい。ただ一点、近所に住む粗暴な男の存在を除いては。
とても美しい関係を築きながら、最後の最後で喧嘩別れしてしまった二人。そしてその再会の時。少女は、喧嘩など無かったように、自然に再会しようと心に決めるのだが。喧嘩別れの哀しさ(少女はおばあさんの気持ちを知っているのに)、そしてさの再会のときは。少女のマイ・カップに生けられた花が泣かせます。
前述通り、今現在、原作は未読なのだけど、梨木香歩作品としてはとてもストレートに、ストレート過ぎるくらい、想いが語られている。もしかしてそれは映画としての分かりやすさなのかもしれませんが。
沼地のある森を抜けて
梨木香歩原作。気になっていたけど、現時点で未読です。本作を観て、改めて読みたいと思いましたが。(買ってあるけど積ん読状態だった)
登校拒否少女がしばらくの間、おばあちゃんの田舎で過ごした日々。おばあちゃんし実は魔女であることを告白し、やがて少女の魔女修行が始まる、という展開。全く内容を知らず、まあおばあちゃんが魔女なのだろうことは想像がついたが、おばあちゃんはとてもやさしく、決して叱らず、いつも誉め、しかし段々と少女は健全になっていく。田舎の暮らしの描写とともに、二人の触れ合いはとても心地よい。ただ一点、近所に住む粗暴な男の存在を除いては。
とても美しい関係を築きながら、最後の最後で喧嘩別れしてしまった二人。そしてその再会の時。少女は、喧嘩など無かったように、自然に再会しようと心に決めるのだが。喧嘩別れの哀しさ(少女はおばあさんの気持ちを知っているのに)、そしてさの再会のときは。少女のマイ・カップに生けられた花が泣かせます。
前述通り、今現在、原作は未読なのだけど、梨木香歩作品としてはとてもストレートに、ストレート過ぎるくらい、想いが語られている。もしかしてそれは映画としての分かりやすさなのかもしれませんが。
沼地のある森を抜けて