ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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hiro


2006年04月

2006年04月29日

残櫻

 スライドショー「残櫻」をアップしました。Podcastにも登録してあります。iDiskは櫻のフォルダ内です。両者は、Podcastの方が若干動きがある他はほとんど同じつもりです。Podcastの方は、やはりフルスクリーンは苦しいです。画面調節して適正な大きさで見て下さい。
 今年の櫻も終わりという事で、内容に付いて特にコメントはありません。

at 07:29|PermalinkComments(0) スライドショー 

2006年04月28日

銀河ヒッチハイク・ガイド CD

ガース・ジェニングス監督 サム・ロックウェル/モス・デフ/ズーイー・デシャネル/マーティ
ン・フリーマン/アラン・リックマン/ヘレン・ミレン/ジョン・マルコビッチ

 評判良かったと記憶しているのだけど、つまらなかった。僕には合わなかったのかもしれない。所々、面白いイメージもあるのだけど。出来損ないのカート・ヴォネガットみたい。「タイタンの妖女」を誰か映画化してくれないか。いや、ジョージ・ロイ・ヒルがいない今、作ればこの作品と似たり寄ったりの作品になっちゃうだろうな。
 脇役連はともかく、主役陣(主人公、ヒロイン、黒人、大統領)が全然駄目。ロボットは、おいおい、川原泉を読んでいるのか??? そっくりじゃないか、川原泉の考えそうな思考回路まで。
 原作は読んでいません。これを見たら読む気も失せる。口直しに「タイタンの妖女」をもう一度読みたくなった。

at 05:57|PermalinkComments(0) 映画 

2006年04月27日

啄木キネマ CD

瀬尾明男写真 石川啄木(一握の砂より)

 NHKBSの「週刊ブックレビュー」で蜂飼耳(詩人ということです)という人がとりあげていたのに興味を持って図書館で借りてみたのだけど。読んだ後、この番組でどのように紹介されたか覚えていないことに気がついた。(ちなみにこの時初めていしいしんじという人も見ました。こちらはまあ、予想通りの人という感じ)

 「写真俳句」でなく、写真集に石川啄木の短歌を付けたもの。タイトルにキネマと付いているが、僕はピンとこない。
 まず感じるのが、石川啄木の短歌が凄い事。断片的にはかなり知っている歌もあったが、これだけまとめて「一握の砂」を読むのは初めて。(多分、全編ではないと思うが) 勿論、上手過ぎるものもあるが、それにしても上手い。しかし、それだからこそ、写真が全くそれについていけていないような気がしてしまう。写真だけで見たらどうなのだろう。と、パラパラ見返してみると、勿論、悪くない写真もあるが、全体として、あまり好みではない。
 この写真集は、短歌と写真が直接的に関連性は希薄だ。それはある意味、正しいのかもしれない。これだけの歌に挿絵のごとき写真を付けても、写真を主張は出来まい。ますます啄木に負けた事になる。しかしこれだけ関連がないのもまた気持ちが悪い。直結しなくても、イメージくらいはほのめかして欲しい物なのだが。森村誠一の「写真俳句」ほどではなくても。そして、そのように直接勝負を避けて、写真対短歌としてもまた、勿論、短歌の前に写真ははるか後方に追いやられてしまっている。(勿論、僕の個人的印象として、だが)
 次に、啄木の短歌の配置。だいたいが三行に分けられ、時に四ページくらいかけて配置される。勿論、その間には写真がある。しかしこれが効果的かどうか・・・
 こういう形式だからこそ、かもしれない。僕は最初から、この写真集(歌集)に、連句集的写真集の幻影を見た。試しにパッと無作為にページを開くと、その一行は前につながるか後ろにつながるか、戸惑う。連句なら、どちらもアリだ。しかし、勿論、残念ながら、そんなことはない。それは僕の幻想に過ぎない。
 勿論、僕の評価は写真集に対する物だ。啄木の短歌自体はA級(評価は固まっている事だろう)。そして、この企画、とても惜しいと思うのです。いつか、こういうものを自分で試してみたいものだけど(勿論、レベルは問題外として・・・)。

at 08:00|PermalinkComments(0) その他読書 

2006年04月26日

エリザベスタウン  CC

キャメロン・クロウ監督 オーランド・ブルーム/キルスティン・ダンスト/スーザン・サランドン/アレック・ボールドウィン/ブルース・マッギル/ジュディ・グリア/ジェシカ・ビール

 いかにもキャメロン・クロウなんだよなぁ。しかしここまで典型的で、しかも一線を越える部分がないと、「確かにそれなりに面白いし、上手いし、音楽好きは伝わってくるし、云いたい事はよく分かるよ」と認めながらも、一方ではなんか鼻につく。
 まず冒頭の大失敗の描写。アレック・ボールドウィンが出てくるのはほとんどここだけだけど、なんかトラヴォルタに似ていない? 覇気を無くしたトラヴォルタって感じ。それにしてもお前はマイクル・チミノか?? たった一足の靴が失敗したからって上り調子の会社が破産するなんてのは、技術者の責任でなく、経営者の責任でしょう。マイクル・チミノや黒澤でもなければ。(でも「七人の侍」がコケても東宝は倒産はしなかっただろうと思う)
 次に父の訃報により自殺を邪魔され、遺体を引き取りに向かう主人公と夫を亡くしたスーザン・サランドンの異常なハイが描かれる。ハイと云えば遺体を引き取りにきた父の故郷エリザベスタウンの人々の異常なまでの親愛。うーん。異常なまでの親愛と云えば、スチュワーデスのキルスティン・ダンストの異常なまでの親愛。そして結婚をする新郎の異常なまでの親愛。もっともこれは結婚直前のご機嫌な新郎ならそういうこともあるか。
 三つの電話に応対するギャグは、はいはい、上手いよ、お上手、お上手で済ましたいけど、唯一感心したのは、子供を良い子にさせるビデオの中身。これは完全版がオマケの映像でついてきますが、残念なのは、これに日本語吹き替えがついていないこと。英語字幕では試せないではないですか。
 二人の関係を間に合わせ同士と云うあたりも過剰な脚本の技に感じてしまうし、本当にもう全編、脚本、演出のテクニックと感じてしまう。そしてやりすぎは、例えばスーザン・サランドンの過剰に感動的かつユーモラスなスピーチの上に更にタップダンスまで披露してしまう。これがこの作品の過剰さを体現しているように感じる。タップダンスもその描写も上手いんだけど、でも作品展開としてはやりすぎなのです。(奇しくも「靴」つながりのカーティス・ハンソンの「イン・ハー・シューズ」クライマックスにおけるキャメロン・ディアスの詩の朗読披露と比べればいい。ハンソンの本物の職人芸と、若き才能の走り過ぎ)
 それにしても、アメリカの火葬って、葬式の前に火葬しちゃうの??? (少なくとも「オーシォンと11人の仲間」では葬式の最中に火葬したと思う)  遺品だけ棺に入れて埋めるのは火葬に反対の親戚たちのパフォーマンス?
 クライマックスの特製ガイド付きのドライブ旅行も、見事、なんだけど、もうやり過ぎの権化的でしょう。「フォロー・ミー」における無言のガイドの素晴らしさを思わず思い出してしまう。本物の上手さ、という意味を考える。同じ展開、クライマックスにしても、もう少し全体のリズムが必要なのでは。この作品はもう本当に二人で突っ走りっぱなしなんだから。最初から、倒産や解雇を通達される社員にどうしてヘリコプターで送迎されなければいけないの、って違和感感じない?? この映画ってそうなんですよ。それなりに面白いのが腹立たしい作品。それはあの可愛かったキルスティン・ダンストがこんなふうに成長しちゃって、でも演技は実はそこそこ上手いのに似ている・・・とこじつけてしまう。ああ、腹立たしい。

Zom's

ゆみだす

あの頃、ペニーレインと

at 07:31|PermalinkComments(0) 映画 

2006年04月25日

ハッスル  CD

一色まこと著

 「ピアノの森」が素晴らしいのでそれ以前の作品も読んでみたのだが、これはイマイチ。女子プロレス自体あまり興味が無い事もあるが(CSに入った時、時々見る機会があって、それなり面白いとも思ったが、すぐに飽きた)、それが要因ではないだろう。
 前半はそれほど悪くない。舞妓が女子プロレスを目指すという過程は、ヒロインの性格描写、周りの人物の描写も良くて、なかなか面白い。入団テストも、何人かの主要なメンバーもかたまりながら、悪くない展開と云えるだろう。更に、入団後の寺での修行、月並みではあるが、それで興味が失せるほどではないし、ヒロインの極道プロレス入門も、往年のスポコン物を思い出す展開だ。そう、ここらあたりまでは、一応、うまく流れていたのだ。
 問題は、まずクライマックスとなるであろうデビュー戦、タッグマッチの相手がヒロインの親友(しかもチームメイト)が選ばれてしまうあたりからだ。ここらで、非常に大きな違和感を感じてしまう。何を急いでいるのだ。勿論、同様の展開も、「巨人の星」の伴宙太以来、珍しい展開ではなくなった。しかし早過ぎるだろう。二人の関係は、そのような展開になるようには描かれていなかった。しかもそれまではそれなりだったリーダーの行動・言動にもブレを感じだす。カリスマとして描かれながら、それが描ききれなかったように感じる。(彼女が貯めた筈の金の使い道も結局明かされずに終わってしまった)
 そして始まったデビュー戦は、正直、最初のカメが面白かったのを除けば、どんどん悪い方向に流れてしまう。(それまで憎まれ役のカメ、木藤のみはギャグも決まって面白かったのだが) まずピーカーブーの戦いはネタが何重にも陳腐。タネは見え見えの上、悪役に仕立てる手順も悪い。更にメインイベントはついに不発の連発となる。親友との戦いは、エンディングの二人ともデビューしたねという爽やかな終わり方がわずかな救いという他はほとんど生きる場面はなかったし、後は盛り上がろう、盛り上がろうともがくのが、逆にあがきにしかならなかったように思える。
 これはもう、「ピアノの森」がこのような尻つぼみな展開にならないことを祈るのみだ。

at 06:56|PermalinkComments(0) 漫画 

2006年04月24日

イン・ハー・シューズ BB

カーティス・ハンソン監督 キャメロン・ディアス/トニ・コレット/シャーリー・マクレーン/マーク・フォイアスタイン

 久々の購入DVD。「クムジャさん」以来か。あれもよかったけど、これもいい映画だろうと思っていたけど(それだけにしんどいかなと思っていたけど)、予想以上に良かった。勿論、「クムジャさん」とは質が違うが、カーティス・ハンソンのイメージとも違う。「ワンダーボーイズ」以来、ハンソンも本格的に変わってきたか。(「8Mile」のみはピンとこないで途中で止めてしまったのだけど)
 これは姉妹の物語。姉がお世辞にも美人とは云い難いトニ・コレット(素顔は知らない)。そして妹がキャメロン・ディアス、久々に見事な演技。姉は美貌の妹に強烈なコンプレックスを持ちつつも、仕事に生き甲斐を求めようとしている。一方で、妹は自分の美貌を手段に成功しようとするが、実は読書障害を隠している。ポイントはお互い、そして共にお互いの長短を知っている点だ。そして二人には表面的な敵である義母とともに、一つのミッシングポイントがあった。それがシャーリー・マクレーン演ずる祖母。
 前半の姉妹二人の描写、中盤のディアスとマクレーンの交流(平行してコレットの恋と失恋の過程)、そして終盤の三者揃いぶみでクライマックスからエンディングへ。見事の一言。やはりサスペンス物の名手は何を撮らせても上手いんだな。こうした心理描写や行動描写、演出がよくなければ良いサスペンスは作れない。しかもこの人は脚本から入っているから。
 月並みと云われるかもしれないけど、ディアスが朗読に導かれる交流の展開と、コレットが義母に愚弄されるシーン、そしてマクレーンの方の(娘の夫との)和解の描写が特に印象的だった。

Zom's

ゆみだす

at 06:13|PermalinkComments(0) 映画 

2006年04月23日

鯉のぼり

鯉のぼり嬢や指差し凧と云い

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 ここんとこ、毎日、朝は姪っ子を保育園に送っています。その途中、世田谷公園に鯉のぼりがたなびいているのを見ながら通るのですが。
 彼女は、自転車から鯉のぼりを見るたびに「凧あげ」と指差すのです。よく正月の事を覚えているなぁ。凧をそれなりに理解しているのに感心しますが(親バカならぬ叔父バカ?)、「鯉のぼり」を理解させるのが大変です。「あれは凧じゃなくて鯉のぼりなんだよ」と云うしかない。しかしいくら教えても凧と云う。「鯉のぼり」の歌は唄うんだけどなぁ。

 この項目も週に一度はアップしたいのだけど・・・なかなか・・・

at 20:39|PermalinkComments(1) 写真俳句