ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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プロフィール

hiro


2005年08月

2005年08月31日

海帰線  CC

今敏著

 今ではアニメ作家(「パーフェクト・ブルー」「千年女優」「妄想代理人」「東京ゴッドファーザーズ」)として有名になってしまった著者が、アニメ作家として有名になったことにより復刊してもらった漫画家時代の作品。本人は今でも漫画に未練があり、二足わらじを履きたいようだが、果たして許されるかどうか。まあ宮崎だって「ナウシカ」を書き続けたことだし。(そういや、宮崎こそまた漫画を書かないかなぁ。その方が周辺に左右されない自分のスタンスをもう一度作れると思うのだけど)
 それはともかく。漫画家としては大友の流れなんでしょうね。一緒に仕事したりしているようだし。(アシスタントだったのかな?) この作品は結構大まじめに人魚伝説を扱っている。人魚との約束で護る「人魚の卵」と土地開発の軋轢。開発推進派と環境保護派の諍いが中心で、主人公の父親である宮司が推進派、入院中の祖父が人魚の卵を信じており、そして主人公自身はその中で自分の立場を確立できていないというのがいかにもな出来だ。ヒロインにしても、所詮は恋人と別れた傷心から故郷のノスタルジーに想いを傾けるという、かなりリアリスティックな背景が用意されている。
 前半はそういった意味で非常によく出来ていると思うが、後半、まさに人魚の卵を能動的に描いてしまうところで、リアルさが非現実さに負けてしまう。物語としては最後まで語られるが、求心力はかなり弱まったとしか言い様がない。結局、非現実を描ききるべき一線が越えられなかったという印象。残念。悪くはないけれど。

 併録された「キンチョーの夏」は普通の青春短編。バイクが壊れてサイクリングを余儀なくされたコンビが途中ではぐれてしまい、それぞれにバイクの不良とやりあって、自転車で奮闘する、・・・・なんてあらすじ、ちょっと違うなぁ。まあそこそこの出来です。こっちの方が、仕上がりは安定しているかな。



at 18:07|PermalinkComments(0) 漫画 

地獄  CC

石井輝男監督 丹波哲郎/前田通子/佐藤美樹/薩摩剣八郎/斉藤のぞみ

 メール便のトラブルで届かぬうちに石井輝男は逝去してしまった。石井輝男東映映画傑作選を予約した際、この作品が未見であることを思い出して一緒に注文したのですが・・
 石井輝男の「盲獣と一寸法師」の前に作られた作品。「一寸法師」が「奇形人間」路線であるならば、この「地獄」は一連の「地獄」の流れより、実は石井輝男の実録シリーズの流れであった。一応、オウム事件や毒入りカレーが扱われていることは知っていたが、見れば、地獄自体を描くより、80%まで克明にオウム事件を描写している。
 まずプロローグとして、連続幼児誘拐殺人が描かれているが、ここの部分は正直、感心しない。オタクが描写されるのは仕方ないとして(毎度ながら自分が重なってしまう)、身体的欠陥を結びつけるのは・・・そんな事件ってあったっけ。僕が知らないだけ?
 しかし本題のオウム事件に入ってからは、その描写は良くも悪くも実録シリーズの本領を発揮した出来。まさに石井輝男の世界だ。脱出劇の際の、麻原(名前は微妙に変えていたが)のお面をかぶった者達が脱走者を追いつめるシーンはいかにもな映像だ。僕はオウム関係の映画は(長野事件を扱った「冤罪」以外)見ていないと思うが、このようにいかにも三流芸能誌の再現記事っぽく映像を作り上げるのは石井輝男のお手の物。
 一方、地獄の描き方もまたいかにも石井らしい。本気と冗談の境目を遊び、しかし僕はよく知らないけど前田通子のカムバックは、もしかしてかつての実録シリーズに阿部定が出演したのと同じくらいの意義があるのではなかろうか。そして丹波哲郎が突然「忘八武士道」の明日死能として登場してしまう凄さ。

 石井輝男は、90年代になってつげ義春という当時としては異色な題材(竹中の「無能の人」に続く二番目だったのが残念だが)で返り咲いたが、その後は着実に自分の世界を再現していった(「無頼平野」「地獄」「・・・一寸法師」)。後は異常性欲物だったのだろうが、それは近日発売のDVDで我慢するしかないのが残念。



at 15:52|PermalinkComments(0) 映画 

Tartarus 2

HIDE.Oさんからの指摘で、今回アップしたスライドショーの音楽が再生出来ないことを知りました。正確には僕の認証されたパソコン以外は再生出来ない。DVDを作れなかった時点で気がつくべきでした。
 前述したCD経由で作り直しましたので、-2の付いている方をコピーして下さい。元のやつは、自分で検証し次第削除します。
 ちなみに、今回の写真は、夏休みに親父のカメラを借りて撮ったものです。(撮影自体は僕自身)

 *一度、Tartarusのコメントに書いたのですが、目立たないと思い、改めてこちらに書きました。

at 11:29|PermalinkComments(0) スライドショー 

2005年08月30日

Tartarus

 新しいスライドショーをアップしました。
BGMはちょっと前のiTunesMusicStorで無料ダウンロードした曲です。スライドショーに使うことは出来ましたが、前に(音楽ジャンルで)書いたように、曲の加工は出来ません。
 更に、このスライドショーをDVDに焼こうとしたら、それも出来ませんでした。これはちょっとショック。DVDにするには、やはり一度曲をCDに焼いて、それをリッピングしてもう一度作り直さなければならないのか。

at 16:36|PermalinkComments(1) スライドショー 

蒲公英草紙  CC

恩田陸著

舞台は20世紀初頭の東北の農村。旧家のお嬢様の話し相手を務める少女・峰子の視点から語られる、不思議な一族の運命。時を超えて人々はめぐり合い、約束は果たされる。切なさと懐かしさが交錯する感動長編。

 「光の帝国(常野物語)」シリーズ待望の新作にして、初の長編。
 長編だけあって、非常にゆったりと語られているのが良い。ドラマチックなのは最後の一章だけ。後は、ヒロインが病弱な少女の話し相手としてお屋敷に行く様子、そのお屋敷に常野一族や、その他の人々が寄宿してくる様子がゆったりと描かれるのだ。描かれるのが常野一族だけでなく、例えば西洋画家と仏像彫りという対照や、或いは、支点が常野一族でなく、そうではないお屋敷の人々であるという微妙なズレ。これらが実に良い。
 ただし、一方では、昔の恩田陸なら、多分、この話も短編として成立しただろうという、中身の薄さも少しばかり感じてしまう。
 とにかく、常野物語、せっかく再開したのだから、書き続けられて欲しいものです。


at 15:22|PermalinkComments(0) 小説 

2005年08月29日

祖国  CC

山田洋次脚本 堀川とんこう監督 上川隆也、マコ・イワマツ、木村佳乃、森口瑤子、高橋マリ子、谷村美月、吹越満、南田洋子

 ドラマW。山田洋次が前面に出ているけど、脚本だけで演出はしなかった。エリートサラリーマンが海外でセスナを雇い、そのパイロットに世間話のつもりで故郷の話をして、ついつい日本に来たら訪ねてきてくれ、なんて言ったら、本当に訪ねてきてしまった・・・・
 それに対して親身になってやる主人公上川のエリートとしての両面がなかなか良く描けているし(好演)、一方訪ねてきたマコの謎もまた悪くない展開。
 しかしドラマの後半、展開は一転する。いや、マコの秘密が明らかになるあたりまでは当然予想の範疇。当然、マコは日本人なのだ。しかしマコの遺書に書かれた日本での経験は、これはそれまでのじっくりとした展開を吹き飛ばす展開となってしまう。
 逆に言えば、山田洋次だからこそ、このような展開に出来ることが許されるのだろうし、演出の堀川は、そういえば市川森一とよく組む演出家だ。市川ならば、この展開は得意とするところ。良いコンビと言えるだろう(当然、偶然ではなく意図的の筈だ)
 しかし中盤の展開に納得したとして、クライマックスには三度目の驚きがあります。タイトルが示すような凡庸な作品ではなく、特異な作品となっているところが凄い。さすが山田洋次と、ちょっと脱帽。(繰り返しますが、これが市川ならば、予想の範疇なんですけどね)

 おっと、書き損ねたけど、前半の終盤に描かれる夫婦愛、家族愛はいいですよ。そこで一つ、現実としての終止符が打たれて次の段階に入っているのが山田的律儀さでしょうか。




at 21:18|PermalinkComments(0) TV 

恋の骨折り損  CC

ケネス・ブラナー監督 ケネス・ブラナー/アリシア・シルバーストーン/アレッサンドロ・ニヴォラ/ナターシャ・マケルホーン

 ケネス・ブラナーは最も期待する監督の一人だったのだけど、最近、敬遠気味だった。ここ数年で見たのは、役者として「ハリー・ポッター」くらいかな。「ハムレット」を頂点とした後、「ヴァージン・フライト」への出演あたりから、どうも見る気がしなくなった。この「恋の骨折り損」は監督作品であり、しかもシェークスピアなのだから、期待は大きく、DVDも発売と同時に買いながら、やはり買いっぱなしリストに入ってしまっていた。この夏休み、やっと見てみる気になったのだけど・・・・これは驚いた。こういうのは全然予想していなかったのは、いかに僕が映画情報に疎くなっているかだろう。これはシェークスピアの枠内で、往年のハリウッド・ミュージカルをやってしまっている。
 しかし。驚きと評価はベツモノだ。シェークスピアとミュージカルは、最高峰として「キス・ミー・ケイト」があるから、実はそれほど斬新な物ではない。ただ、現在にそれをやるということが驚きというだけ。しかも、勿論「キス・ミー・ケイト」とこの作品は似て異なる物である。方向性。純粋なミュージカルと、ミュージカルに対するオマージュ。そう、この映画はミュージカルに対するオマージュとしか受け取れない。それほどまでに様々なミュージカルが取り入れられ過ぎている。パロディでなく、オマージュと受け取ることがギリギリの妥協点だろう。
 意図は分かる。元々ブラナーは、古きオリジナルから斬新なリメイクを生み出してきた。「ヘンリー5世」も「から騒ぎ」も、シェークスピア以外でも、「愛と死のはざまで」は限りなくヒッチコックだし、「フランケンシュタイン」も手がけた。(そしてその一方で「ピーターズ・フレンズ」のような小品も手がけている) ブラナーが真っ向、往年のミュージカルでシェークスピアを撮ることは何の不思議もない。
 製作の中にスタンリー・ドーネンの名がある。出来も悪くない。非常に精巧に往年のミュージカルを使っている(ほとんど新しい曲はないと思う)。ストーリーも悪くない。ただただオーソドックスなだけである。
 更に付け加えるならば、アリシア・シルヴァーストーンと本人を除いて、主要人物に有名スターを使っていないこと。脇はしっかりと固めているが。そこらもブラナーらしいと思う。
 多分、この作品は楽しくよく出来た作品と思う。しかし、何か僕は乗り切れなかった。「白いカラス」でアンソニー・ホプキンスとゲイリー・シニーズが「ナイト・アンド・デイ」を歌い、踊り出すのとは違うことは分かっているのだが、あちらには、ほんのつかの間、とても和んだ気分になったのに対して、こちらは、大好きな世界にもかかわらず、意図が透けて見えるだけで、それ以上のものが感じられない苛立ち。ケネス・ブラナーは、これでは駄目なのだという気持ち。彼はローレンス・オリヴィエと張り合えた男なのだ。(「愛と死のはざまに」においてヒッチコックと張り合えたかどうかは、意見が分かれるだろうが)

 うーん。あと数年して、また気分が変わったら、改めて見直してみたい。その時は素直に楽しめるかもしれない。




at 15:43|PermalinkComments(0) 映画