ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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hiro


2001年05月

2001年05月25日

レッド・プラネット  DD

アンソニー・ホフマン監督 キャリー・アン・モス、ヴァル・キルマー、テレンス・スタンプ、トム・サイズモア

 公開時からあまり良い評判は聞かなかったし、予告編でも何か中途半端な印象を受けたが、ハリウッドプライスのDVDだったので。
 で、出来はまあ、覚悟していたほどではなかった、というところか。一応、それなりに楽しむことは出来た、かな。「ミッション・トゥ・マーズ」なんかもそうなんだけど、僕はほとんど科学的知識はないのでそういう意味でのストレスはそれほど感じないのだけど、それでもこれらの映画のそれなりの生真面目さ(?)と、一方でちょっと勘弁して欲しい部分とが目立って、しかし既に「ミッション・トゥ・マーズ」なんてほとんど心に残っていない。この映画もそれに近い印象になってしまうのではないかな。
 とにかく、展開は真面目。火星への航行中の描写も真面目に描写しているし(テレンス・スタンプなど結果的にそれだけ、である)、着陸寸前のトラブルはいかにも、って感じでちょっとうんざりだが、着陸組と残った船長の母艦建て直しの過程もそれなり真面目に描写している、というかカッコつけていると言うべきか。正直、どちらもあまり真実味は感じられないし特にあのエアバック、ですか、あの描写は冗談としか思えなかった。
 まあ、しかしその後の展開も含めて、ほとんどは気になるところも目を瞑るとして、あのロボットだけは勘弁して欲しかった。というか、その描写がかなり困りもの。予告にもあったのだけど、可愛いペット的存在のロボットが狂って人間を襲う。でも、やれ戦闘モードだとか言っても、あんなカンフーみたいなカッコされたり、ゲリラ戦の手段を使うなんて、どうも全くリアリティがなく、最低限の生真面目さをぶち壊していますね。(ここら、予告ではちょっと「2001」のHALを思い出してうんざりしたのだけど、それとは違う意味で駄目でしたね。逆に、もう少し可愛さを強調した上で狂わせなければ、そこら、非常に描写がお座なりでした)
 もう一つ気になったのは、クライマックスのお涙頂戴シーンがいかにも似非「アビス」という感じでかなり辛かった。(心臓マッサージまでやっちゃって)

 キャリー・アン・モスはあまり好みではないので、客観的にそれなり、としか言い様が無く、ヴァル・キルマーはいつも可愛い童顔ですね、としか言い様が無く、テレンス・スタンプは哲学(あれ、神学だっけ)ですか、としか言い様が無く、トム・サイズモアは、肋骨が折れているのにご苦労様、としか言い様がないか。

 しかしこの作品を続けてみてしまうと、やはり「ピッチ・ブラック」はかなり良い出来だったんだなぁ。クライマックスはひっかかるけど。

wad's




at 16:39|PermalinkComments(0) 映画 

2001年05月20日

ニュースブレイカー  CC

セルジュ・ロドヌンスキー監督 マイクル・ルーカー、ジャッジ・ラインホールド、ロバート・カルプ、キム・ダービー

 マイクル・ルーカー主演によるちょっと渋めのサスペンス映画。ルーカーが屈折しているとはいえ正義の新聞記者で、ジャッジ・ラインホールドが悪役という配役が、普通なら反対じゃないの、という感じだけど、特にラインホールドは結構悪役もサマになっている。偽善者的雰囲気もいいけど、それなりの貫禄もあるのが驚き。一方、ルーカーの方は、見ていてやっぱり主役という雰囲気ではないと思うけど(主役でも「ヘンリー」とかのような悪役ならハマるが)、それが逆に映画の雰囲気にもなっているのかもしれない。体が重くて、いかにもアクションがしんどいという感じ。
 出来は可もなく不可もなく、という印象だが、息子を見捨てきれなかったロバート・カルプがちょっと心に響いた。それにより、これまでのアクションのほとんどが単なる時間潰しに感じてしまったのは仕方ないが。
 もう一つ。非常にヘンなおばさんがヘンに印象的なのだが、このおばさん、どこかで見たことがあると思ったら、なんとキム・ダービーだった。なんと懐かしい。やっぱりただのヘンなおばさんではなかった


at 19:39|PermalinkComments(0) 映画 

ピッチブラック  BB

デイヴィッド・トゥーヒー監督 ラダ・ミッチェル、コール・ハウザー、ヴィン・ディーゼル

 「アライバル」とか「グランドツアー」の監督の作品ですが。メイキングなんかで聞くとトゥーイの方が発音として近いようですね。現在はどちらの表記も混在しているようです。

 冷凍冬眠による宇宙旅行中、事故に遭い不時着した星は太陽が3つもある昼だけの星だった。そこで護送中の殺人犯(ヴィン・ディーゼル)が逃亡し、緊張する生存者。しかしそこでの真の敵は殺人犯ではなかった。22年に一度、日蝕が起きるとき、敵は彼らに襲いかかる。
 クライマックス近くなるまで、かなり面白かった。宇宙旅行中の事故にあった時、乗客を見捨てようとしたにもかかわらず、生存者から英雄扱いされ、リーダー的存在になってしまうヒロイン(ラダ・ミッチェル)や、保安官気取りだったが実は賞金稼ぎに過ぎない殺人者護送人(コール・ハウザー)。イスラム教徒(キース・ディヴィッド)や、ドクター・スミスをちょっと思い出すような商人。スミスと比べては失礼か。それなり、ユニークな登場人物達に、昼の惑星の描写も悪くない。いかにもSFって感じ。
 この映画で残念だったのは、クライマックスのもたつき。倫理面を持ち出すこと自体は悪くないし、しっかりその伏線も張っていたのは分かるけど、それが無用なもたつきに見えてしまっては失敗。殺人犯が一人だけ簡単にたどりつけたり、ヒロインが簡単に往復出来たり、クライマックスの描写とその結末は完全に破綻していると思った。非常に残念。

wad's



at 16:47|PermalinkComments(0) 映画 

2001年05月17日

疑惑の幻影  CC

ランダル・クレイザー監督 メラニー・グリフィス、トム・ベレンジャー、クレイグ・シェーファー、ヒューイ・ルイス

 別に意識したわけではないけど、最近、メラニー・グリフィス出演の映画をよく見ているような気がする。これは久々に彼女が颯爽とした映画。無敗の敏腕弁護士を演じている。こういう彼女って、印象としては「女刑事エデン」以来のような気がする。相手役はトム・ベレンジャーだが、ちょっと冴えない。この映画ではそれも仕方ないことか。
 一方、監督のランダル・クレイザーも懐かしい名前。作品名より先にヘボとか凡庸とかいう単語が思い浮かぶが、実は「グリース」は好きだった。今度の映画はそういうのとは全然結びつかないが。
 で、映画は次期大統領候補のスキャンダルに結びついていく強姦殺人の弁護をメラニー・グリフィスが引き受ける。相手の検事は元の夫のベレンジャー。大統領候補の母親からの外圧を感じつつ、また依頼人が本当に無実かの疑問を感じつつ、そして実際、以前に有罪なのに無罪にしてしまった上にそれに気が付かずに性的交渉を持ってしまい、彼女につきまとう男のストーキングにあいつつ、裁判は展開していく。
 まあ無難な出来だけど、久々にこういう役のメラニー・グリフィスは悪くない。多分、それはそのままトム・ベレンジャーに反転してしまうのだろうが。大統領候補の裁判におけるかわし方、その母親の存在感も悪くない。グリフィスに対するストーキングを行うクレイグ・シェイファーはイマイチかな。実質的クライマックスとも言える罠の張り方、その描写もビジュアル重視にしたのだろうけど、ちょっといただけない展開。
 それより何より、この映画には、メラニー・グリフィスの参謀役としてちょっと存在感のある人が出ているのだが、どこかで見たことがあると思っていたら、ヒューイ・ルイスだった。僕はそちらの方はあまり関心がないので、多分、「BTF」の時(とその頃のMTV)くらいしか顔は見ていないのだろうけど。いや、なかなか存在感がある。役柄としても特に特徴をつけたキャラではない、実に正統的バイプレイヤーという気がした。感心。

wad's

at 19:44|PermalinkComments(0) 映画 

2001年05月13日

千里眼  CC

麻生学監督、水野美紀、黒木瞳 、柳葉敏郎、矢島健一、田口トモロヲ、根津甚八

 確か東宝で作られた(原作において)この作品の前作に当たる「催眠」がうんざりするほどつまらない作品だったので、当然ながら封切り時は無視したのですが。後から考えると、黒木瞳と水野美紀というコンビがヘンに気になる。一般的に言えば黒木瞳は好きでないのだけど、どうも最近は完璧無視も出来ない存在感が出てきているような気がする。何を見てそう思ったのか、思い出せないのだけど、この作品を見て、その感を新たにした。一方、水野美紀は正直、よく言われるように水野真紀とゴッチャになっているのだけど、やっと、それなり気になる方は水野美紀であることを認識出来るようになってきた。「踊る大捜査線」ではイマイチの印象から、それなり、まで少し印象がアップしたけど(でもまだ名前の区別がつかなかった)、彼女がアクション志向であることにちょっと興味を持った。実際、この作品のアクションはかなり彼女の意向が入っているようだ。出来は、香港アクションの模倣で、しかし少なくとも「マトリックス」的アクションよりは好感が持てるし、それなりによくやっていると感心した。同じ不可能なケリとかでも、香港アクションではダダダダダタ、ってところがダダダダ、ってあたりで終わらせるのが微笑ましい。これもまたマトリックスとは別の意味で軽さを感じるけど、まあそれはそれでいいのでしょう。水野美紀の動きはなかなか綺麗でした。
 肝心の内容も、「催眠」の面白そうでつまらないのとは反対に、のっけからミサイル空爆で始まり、原作を全く知らない身としてはかなりド肝を抜かれて、その後も使われる心理学的説明の胡散臭さもまた楽しく、それなりに楽しめた。惜しむらくは、もう少し後半の催眠が解ける過程あたりの展開に説得力が欲しかったというべきか。確かに解けた理由は分かったが、何故、敵はそれを許したのか。まとめて殺したいなら、もう少しうまいやり方があっただろう、と、正直、このあたりは少し不可解な気分になってしまう。しかし前述の如く、水野美紀の格闘はそれなりに楽しめるし、爆弾を捨てるあたりも悪くないアクション。更に黒木との対面、冒頭につながる暗号解読も展開として悪くない。最後のミサイル誘導だけはちょっとやりすぎの蛇足のように感じないでもないが、まあクライマックスを派手にするサービスでしょう。
 「催眠」とこの作品と、ミドリの猿と催眠という2点を除けば関係が分からないのだけど、その出来の差にちょっとびっくり。
 エンディング部分、まるで「羊たちの沈黙」を思い出す描写にちょっと呆れたが、これは原作でこの続きがあるようなので、仕方ないのか。
 まあ、しかし予想外、楽しめました。日本映画でこういうのがそれなりに成功したのは珍しいのでは。監督もあまり有名な人ではないと思うが、先日の「ゴジラ」新作にせよ、もしかして、こうした堅実な監督が育ってきたのでは、と、ちょっと嬉しくなった。


Zom's

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2001年05月10日

クレイジー・イン・アラバマ  BB

アントニオ・バンデラス監督 メラニー・グリフィス、ルーカス・ブラック、ロッド・スタイガー、デイヴィッド・モース、キャシー・モリアティ

 アントニオ・バンデラスの初監督作品は、結構面白い題材を選んだ。自らは(多分)出演せず、しかし確か現在の夫人であるメラニー・グリフィスは主演。
 物語は大きく二つに分かれていて、一つは夫を殺したメラニー・グリフィスの逃避行ならぬハリウッド出世行。もう一つはルーカス・ブラック演ずる彼女の甥の人種差別事件に関わる顛末。冒頭で枝分かれしたこの二つが最後に再び重なる。
 グリフィスの方はまさに喜劇仕立てと言うべきか。彼女は本当に夫を殺して、逃避行のため、何人か数え切れぬほど多くの子供達を母親に預けに来る。ちょうどそこには両親を失って引き取られたルーカス・ブラックとその兄がいたのだが、そんなに多くの面倒は見れないために、葬儀屋の叔父(デイヴィッド・モース)のところに移されるのだ。彼女はこの一瞬のすれ違いの際、ルーカス少年に、自分はハリウッドで女優になるのだとうち明ける。そして実際にそれを目指すのだ。この時点で、このあっけらかんとした夫殺しの告白が本当のようには思えないが(むしろ少年の勝手な思いこみのように感じてしまうのだが)、それは本当で、故郷では彼女は指名手配されているのだが、彼女は堂々と女優志願を続けるのだ。しかも。彼女は高級帽子箱を購入し(その箱には勿論、帽子もついてくるが)、そこに入れて持ち歩くのは、自分が殺した夫の首。彼女はたまにその首と、生前と同じ様に(つまり非友好的な)会話をする。彼女はラスベガスで大儲けし、彼女を崇拝する運転手が現れ、彼女は儲けた金でハリウッドのプロデューサーに近づくのです。そして彼女は(確か)実在の人気TVドラマにゲスト出演し、一躍脚光を浴びるのだ。TV出演というところがいかにも、で、大物(らしい)女優にせせら笑われ、有名スターと共演と思いきや、彼女の相手は全て代役、というのも笑える。そして彼女が捕まるのが、そのTV出演ゆえでなく、今まで探していた首の捨て場所をやっと見つけたところでのハプニングなのだ。まさにブラック・ユーモア。メラニー・グリフィスは相変わらず、このいかにも二流っぽいヒロインを一流の演技で演じている。
 一方、ルーカス・ブラックのパートはずっとシビア。こちらも霊柩車に乗ったりするブラック・ユーモアは見え隠れするものの(それに加えてデイヴィッド・モースの妻役のキャシー・モリアティはその存在自体がブラック・ユーモアを体現しているように感じる)、黒人差別の黙劇から始まり、実際の白人専用プールでの悲惨な事件、抗議運動と、少年の目で描かれていく。何よりも、彼は黒人少年が保安官に殺されるのを見た目撃者なのだ。表面上は絶対的黒人差別の街で密かに事件を人権団体に訴えた叔父だが、メラニー・グリフィスの件をたてにとられて引き下がらざるを得ないのが少年にとって悲しい現実。
 そのグリフィスがクライマックスの裁判において、精神異常という逃げ道を拒否する姿勢がまさにクライマックスになっている。ここには裁判官にロッド・スタイガーを起用する周到さ。まさにそれは生きている。この裁判の判決とそのどんでん返しはまさに掟破りかもしれない。
 この映画が「スタンド・バイ・ミー」を引き合いに出されるのは、特にルーカス・ブラックのエピソードなのだろうけど、まあ分かるような気はする。原作は、僕は知らないが結構有名な作家のものらしい。さもありなんという内容。ギャグとシリアスの混ぜ方がなかなかで、結構うまく映像化されていると思う。
 メル・ギブスンの最初の監督作で感じたのと同じように、本当にバンデラスが撮ったの?と疑いたくもなるが、ギブスンの場合はバックにピーター・ウィアの影も見たような気がするが、このバンデラス作品はちょっとそうしたバックは見えにくい。何より、(実はどちらも未見なのだが)ジョニー・デップやゲイリー・オールドマンなんかより題材の選び方が良かったように思う。
 ちょっときれいすぎる気はするが、なかなかの快作。ちょっとバンデラスの見方が変わった。


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2001年05月08日

隣人は静かに笑う  BD

マーク・ベリントン監督、ジェフ・ブリッジス、ティム・ロビンス、ジョーン・キューザック

 ジェフ・ブリッジスとティム・ロビンス主演のサスペンス物。宣伝では「サイコ」「羊たちの沈黙」「セブン」を引き合いに出していて、ある意味、それは分かるが、これは駄目だと思う。

 子供を助けたことにより友人になった隣人同士、しかしふとしたことからその隣人(ティム・ロビンス)が偽名(改名)を使っていることに気が付き、探るうちに、正体が判明する。しかしその時、息子は人質に取られており、一方で、犯人のねらいが友人のいるFBI本部の爆破と知り、主人公のジェフ・ブリッジスはどうするか、というのがおおまかな展開。
 ティム・ロビンスが一見、政治犯。一方、ジェフ・ブリッジスは大学でそうしたテロ行為について講義を行っているが、元の妻はFBI捜査官で、上部の判断ミスで落命している。勿論、反テロでありながら、政府側の対応にも不満を感じている(妻の件に対する怒り)。
 それぞれの子供達。ティム・ロビンスになつき、その息子と親友になって明らかに感化されているブリッジスの息子と、どこか不気味なロビンスの娘達。
 それぞれのパートナー。ロビンスの妻を演ずるジョーン・キューザックが見事! 彼女の存在に数度ドキッとして不気味な気分を味わわされたが、その全てにおいて彼女はいつもながらの(いや、いつも以上の)気さくな対応なのだ。彼女はその存在感において完全にロビンスもブリッジスも喰っている。一方、ブリッジスの恋人。ブリッジスの妻のことを認識していながら、ブリッジスの行動が妻に対する意識から行っていると感じている。しかし、いかにブリッジスの詮索が倫理違反と感じても、普通、隣人が偽名を使っていると知れば、ブリッジスの側につくだろうに。このあたり、非常に不快な上にその愚かな結末は、展開としてちょっとうんざりする。更にそれに追い打ちをかけるのがFBIの友人であり、僕はてっきり、彼の行動は陽動作戦と思っていた。実は感づいたが、犯人に知られないためにわざとボケているのだと。クライマックスのブリッジスの行動。公衆電話のすぐ隣にそれがあると分かった時、ブリッジスの恋人の馬鹿さに呆れる。しかしこのように不可能な展開にほんのわずかなつながりを提示して、展開させていくあたり、ものすごく無理を感じてしまうし、この主人公が何をしようとしているのか、こんなことしてたら、子供は本当に殺されちゃうんじゃない、って感じ。
 前半はまだ、ブリッジスの行動にちょっと偏執的な無理を感じつつ、相手の対応も悪くなくて、それなりに展開するが、この後半の展開は明らかに破綻しており、最後の仕掛けに至っては、おいおい、それはないだろう、って感じ。こんなことをやってはいけないよ。やるなら、もっと有無を言わせぬインパクトを持たせなくては。「サイコ」はそれに成功した。「セブン」の結末は、インパクトとして認められると思う(好きでないことはこの映画と同様だが)。しかしこの映画の場合、それはないだろう、って感じ。最初から計画ならこんなご都合主義ないし、突発的予定変更ならば、それなら事前に提示されていた爆弾事件の存在は、2度の偶然が繰り返されたことになる。どちらも全く説得力を持たない、単なる映画のエンディングとしてのオチの問題だ。結局、この映画は最初にオチを考えて、そこから組み立てたのだろうが、それなら、前述の如く、もっと何らかの説得力を持たせなければならないのだ。ジェフ・ブリッジスの行動は、観客側にも犯人側にも予測できる説得力を持たないし、ならば、それを計画に組み入れた犯人側という設定も全く説得力がないのだ。最初から最後まで、全て。
 駄作。この映画の唯一の取り柄は、ジョーン・キューザックの対応二つ。ロビンスの書斎にブリッジスが忍び込んだときと(その時の娘達の対応は助演賞! 特に携帯の一件は良かった)、ブリッジスの恋人が公衆電話でかけ終えた、その後ろに現れたとき。特にこちらは凄かった。ブリッジスが新聞検索をしていた時に後ろに現れたロビンスと比べてみれば、その凄さは分かると思う。それだけ。
 全体として、非常に不快な映画だった。「サイコ」よりも前に、我々はヒッチコックの「サボタージュ」(だったと思う。バスの子供が爆死してしまう映画)から先、映画の展開として、何が許され、何が許されないか、何が必要で、何が必要でないかをしっかり把握する必要がある。「サボタージュ」「サイコ」は許され、この映画は許されないと思うのです。

wad's

Zom's





at 10:37|PermalinkComments(0) 映画