ようこそ hirot'sBlog へ

2004/11/25
本BLOGの公開を
開始しました。
映画は、今世紀に入って
ほとんど劇場では
見ていません。
主にDVD、CS、BS放送
による観賞です。
表題後ろにあるのが評価で、
前は客観点(出来の良さ)、
後は主観点(好き嫌い度)。
A-Eにするつもりですが
客観・主観とも
Cが及第点として、
Aが最高評価
Eが最低評価
とお読みください。
よろしくお願いします。

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プロフィール

hiro


1998年06月

1998年06月30日

中国の鳥人

三池崇史監督

 本木雅弘主演だけど、完全に石橋蓮司の映画になっちゃって
いるような感じ。冒頭からの経過説明の映画的処理がかなり
うんざりするし、小器用っぽい部分が好きでないが、展開は
徐々に惹かれていく。特に目的地への道中の後半あたりは
かなり興味を惹かれてしまう。逆にそこまでの石橋の目立ち方は
あまり好感が持てなかったのだけど。
 中盤、テーマが近付いてくるあたりまではそれなり、
というよりも、石橋が完全に本来の目的から離れて解放された
ような感じになった時がこの映画で最ものびやかな瞬間のような
気がするが、一方で、お行儀良く本木が歌の解明をしていくあたり
から、再び映画自体は力を失っていくような気がする。
 逆に夢とか幻想とか回想とかを極力使わず、実質的な馬鹿話で
ある、亀に引かせる舟とか、鳥人教室だとか、そういう部分を
核にして進めて貰いたかった。夢とかそういう部分が、これらを
弱めてしまっていたような気がする。残念。
 それと本木は一時のカリスマ性を失っているような気がした。


at 17:00|PermalinkComments(0) 映画 

1998年06月24日

ボクサー

ジム・シェリダン監督

 久々に映画を観た、という気分にさせてくれた。
冒頭からして怖ろしいほどカッコいい。刑務所の庭で
黙々とシャドーボクシングをするダニエル・デイ・ルイス。
彼の演ずるダニーの出所風景と、獄中結婚風景が平行して
描写される。はっきりした事情が分かる前に、そうした
IRAのからんだものとはっきり袂を分かっているダニー
の描写。それにもかかわらず、そんなダニーに怒りを
ぶつける酔っぱらったアイク(丹下段平からパージェス・
メレディスまで、ボクシング・トレーナーの典型的キャラ)、
昔、ダニーをボクサーに育てながら、ダニーが拳でなく
爆弾を使ったことに失望した男。
 ダニーのボクサーへの再起の意志と、昔の恋人、今は
親友と結婚して子供もあるが、皮肉にも夫はやはり獄中にいる。
彼女との無言の交差。福祉施設になってしまっているリングを
再び作り直すシーンなんかも静かな興奮がある。
 デイ・ルイスはシャドーボクシングばかりでなく、縄跳びも
凄い。これはどこまで凄いのだろうと思ったら、復帰第一戦、
全然強くないのがまた意表をつく。ブランクと年齢もある
だろう。しかし諦めない姿勢が痛く感じる人間もいるようだ。

 このようなダニーのボクサーへの再起の描写と共に、
IRAについても着々と描かれる。しっかり現在形で、
もはやIRAも話し合いの道を目指している一方で、
強硬なタカ派もいる。ダニーとの直接の関係は、ダニーの
愛する恋人は、もはや捕らわれたIRAの妻であり、
彼と付き合うことはIRAが許さないのだ。(しかも彼女の
父はIRAのボスなのだ)

 これまでのアイルランド映画は、敵はイギリスであり、
アイルランドは被害者だった。彼らが牙をむいても、
それは仕方のないことだったというわけだ。
 今回の映画も、イギリスの警察がまず、ボクシング・ジム
を援助してくる。宣伝行為ミエミエで、実に居心地が悪い。
また、そういう方向に行くのかと思いきや、その反動は
思わぬ方向へと展開し、この映画が、完全にイギリスを
ワキにおいて、アイルランドの内部の問題を提起している
ことが明らかになる。

 イギリスとの和平を邪魔しているのは、アイルランド自身
(IRAの一部タカ派)であるということ。そして、この敵役は、
絶対的に自らを悪とは思っておらず、またまわりの人間も
彼らを制止出来ない。なぜなら、自らの都合によって、
彼らを利用したのは自分たちだったのだから。
 この映画において、最も象徴的なのは、実はこの敵役が、
自分たちの悪行を自覚する会話も持たぬまま抹殺されて
しまうことではあるまいか。

 一方において、ダニーは、自分が恋人の身を守ると宣言
しながら、そんなことが無理であることがはっきりと示されて
いる。最後に彼の身を守ったのが、反対に恋人である皮肉。

 思えば、ジム・シェリダンは、「マイ・レフト・フット」から
「父の祈りを」を経て、この「ボクサー」まで、どれも
真摯なテーマを実にあざとく演出している。それが良くも
あり、悪くもある。見方次第。

 肝心のボクシング・シーン。リアルさを狙っているという。
残念ながら、ボクシング・シーンに中心はない。しかし、
「ロッキー」のような馬鹿馬鹿しさは勿論ないし、どちらかと
云えば迫力は「レイジング・ブル」に近い、ただ、そこから
ドラマチックさを少しばかり排除している。実際、試合シーン
よりも確実に練習シーンの方がゾクゾクする。
 ただ、最初の試合で一瞬、スタンリー・キューブリックの
「非情の罠」を彷彿とさせる瞬間があったような気がする。
確かローアングルからとらえた瞬間だったと思う。これは
勿論、マネを批判しているのではなく、実際、まねている
のかどうかを確認もしていないが、同じようなスリリングな
感覚があったことを喜んでいるのである。

 ワン・シーン、デイ・ルイスがジムが火事になったことを
知って、駆けつけるシーン描写がある。その走りが良かった。
そういえば、デイ・ルイスと云えば「ラスト・オブ・モヒカ
ン」の走りは興奮した。久々にデイ・ルイスに興奮する。
そう、冒頭のシーンからずっと。多分、それがクライマックス
からエンディングにおいて、見事にすり替わってしまうのが
何とも見事と云うべきか・・・・

 とにかく、久々に見応え充分、映画を観る快感を
堪能した作品でした。近日終了してしまいます。


at 17:04|PermalinkComments(0) 映画 

1998年06月23日

パーフェクト・サークル

アデミル・ケノヴィッチ監督

 既に映画祭で見ているので再見ですが。
この映画を見て、自分がいかにこの映画と「ビヨンド・サイレンス」を
一対のものとして見ていたかを実感した気がする。当然、見た直後は
それぞれ別々のものだったのだろうが、結果として、当然とも言える
2作品のグランプリに、文句を言う気はなく、それを当然のことと
考えつつも、自分ではその上に「藍月」を置いた。
 そして今、この「パーフェクト・サークル」を見直して、非常に
鮮明に記憶している部分と、忘れている部分、そしてすり替わっている
部分に驚く。例えば、最も根本的な兄弟の兄の耳が聞こえないという
ことを、何故僕は忘れていたのか。「ビヨンド・サイレンス」は
聾唖がそのものの状況だ。或いは、確かにクライマックスのビルの
中での情景は覚えている。しかしその結末を何故僕は覚えていなかった
のか。この映画は「もう一度見たい」と思っていたが、この結末を
僕は何故もう一度見たかったのか。そうではない。この結末を覚えて
いたら、僕はもう一度は見たがらなかったかもしれない。そういうこと。
或いは、僕は確かに妻と娘の幻影を覚えていた。それと同時に、この
二人の幻影が幽霊とするならば、二人はもはや生きていないのでは
ないか、という不安がよぎったのを覚えている。しかし、確か、結末として
二人は確かに生きていた筈である、という確信があったのは何故だろうか。
確かに、二人の生存は確認できたと思っていたのだが。しかし今回
見直して、そんなシーンはなかった・・・・
 別にだからどうということはない。もう一度見れて、良かったと
思っている。生存の確証はなかったけれど、今でも二人は生きている
と思う。「ビヨンド・サイレンス」の後味の良さが、「パーフェクト・
サークル」の重さを中和させたのだと思う。

 奇しくも、昨日の朝日の夕刊は、相変わらずセルビアあたりの
焦臭さとそれに対する経済制裁の記事が小さく載っており、
一方、「ボスニア」という映画が「パーフェクト・サークル」と
全く正反対の姿勢(リアルな戦争シーンを見せつけることによって、
日本観客にまで悲惨さを広げよう)で公開される。或いはパンフレット
で比較されていた「ウェルカム・トゥ・サラエボ」も近日公開らしい。
(既にぴあの次回作欄に入っている)
 「ボスニア」も「サラエボ」も見る気はしない。それよりも、
「パーフェクト・サークル」のクライマックスにおいて、兄が
何の躊躇もなく兵士を殴り殺し、射殺する、そのシーンの無感覚さは
いったいなんなんだろうと考えてしまっている・・・


at 17:06|PermalinkComments(0) 映画 

1998年06月22日

ザ・ワイルド

リー・タマホリ監督

 既に上映は終了してしまったけど、絶賛にはほど遠くとも、
見て損はないと思う作品。最終日の最終回に見た。
 監督は「ワンス・ウォリアーズ」「狼たちの街」と、かなり
見逃せない作品を連発しているニュージーランド出身のリー・
タマホリ。今回も前作に続き、アンソニー・ホプキンス、アレック・
ボールドウィンといったスターを使って、今回は自然と熊を
相手にしたサバイバル劇を繰り広げる。ちなみに脚本も売れっ子
脚本家のデイヴィッド・マメット。

 この作品の縦糸は、オーソドックスというか、陳腐というか、
つまり、大富豪と、その妻の愛人のカメラマンが山の中で遭難し、
お互いに相手を憎んでいるが協力しあわなければ生還できない、
という状況。というのが一応の設定。ただし、そこのところが
どこまでうまく描けていたかはちょっと疑問。まずアンソニー・
ホプキンスの方が人間がデキ過ぎていて、相手に対する憎悪が
あるとしても、それが積極的姿勢には感じられない。一方の
アレック・ボールドウィンはもう一つ悪く、こちらは演技的に
一つ停滞を感じてしまう今日このごろ。残念ながら彼が演技に
馴染んでいるのは情けない部分ばかりだ。これは折角のデイヴッド・
マメットの脚本を生かせなかったか、それとも脚本自体が
弱いのか。
 しかしこの作品、横糸が面白い。大富豪が本の虫で、サバイバル
知識が豊富であることと、それが意外な実践家になれるという点。
正しい場合も間違った場合もあるが、間違った場合もそれに対する
対処が単なるご都合主義の実体をうまく隠している。
 もう一つの主役が人喰い熊。これが執拗に、まるでジョーズの
如く襲ってくる。このサバイバルの知的部分とアクション的部分が
うまく交差して、人間関係の描写の失敗を補っている。
もう少し突っ込めたら、という気がしないでもないけど、
でも楽しめる作品でした。


at 17:11|PermalinkComments(0) 映画 

1998年06月19日

スフィア

バリー・レヴィンソン監督

 元々前評判も悪く、それでも役者も原作も揃った大作ということで
一番館パンテオンで始まったものの、早々に東急3(地下、元のレックス)
に劇場替えで、ではパンテオンは何かと云えば「タイタニック」という。
 「スフィア」は原作が翻訳された頃に読んで、まあ読めるけど、まあ
それまでのクライトン作品を読んだ興奮はあまりないな、と。その後、
キャメロンが「アビス」を撮った時、なんで「スフィア」を原作に
しなかったんだと怒ったというような噂も聞いたけど、こうして
仕上がりを見ると、やはり「アビス」は「アビス」で良かったな。
原作を読んだときにそれほど鮮烈な印象が無かったもので、映画との違い
なんて全然比較出来ないけど、まさか原作がここまで駄目とも
思わないけど、とにかくこの映画は失敗している。監督が僕の好きな
レヴィンソンだから、贔屓目で見てあげたいのは山々だけど、
でも結局、こういう展開から結末に向かってしまえば、面白くなる
わけはないだろう。どうしてこういう方向に進んでしまったのか。
同じ超ご都合主義的結末でも「アビス」は、それなりに納得のいく
ものにしてあるが、この作品は、まさにどうして、というもの。
根本的に、ただ作られただけの話のような気がしてしまう。
 疑心暗鬼的展開や、想像の産物というのは、それはそれでいいし、
結末にしても、形として悪いわけではない。でも、その根本が
しっかりしていないから、作られただけの展開に感じてしまうのです。
 そういえば、想像の産物と云えば、「ソラリス」や「禁断の惑星」
を思い出すけど、もしかして、「スフィア」は「禁断の惑星」の
リライトだったということはあるのかな。「宇宙戦争」から
「アンドロメダ病原体」、「フランケンシュタイン」から
「ターミナルマン」をリライトしたと公言するクライトンなら
そんなこともあるかもしれないと思ったのだけど。

 話を肝心の映画の内容に戻せば、一番良かったのは、海底に
潜るときの水圧によるきしみの音が一番恐かったりして。
あと、ポスターなどでも使われているあの潜水服の顔は
悪くないけど、それくらいかな。
 役者としては、「アウトブレイク」におけるダスティン・ホフマン
はそれなりに意表をついたベストキャスティングだったが、
この作品になると面白くもなんともない。それでも最低限の
演技はしているから文句を言う気もないけど(云ってるって)。
シャロン・ストーンも、存在感としては思ったほど悪くない
のだけど、どうも活かされている感じはしない。元々の配置として
思ったより面白いと思ったのに、結局、彼女がキャスティングされ
たのはクライマックスの為なのかと感じてしまう。それでは
つまらない。もしかして使い方によっては、エリザベス・マスト
ラントニオほど、とは云わずとも、それに近い存在感は出せた
のではなかろうか。
 サミュエル・ジャクソンはどうということはない。どの黒人が
演じても大差はない。
 むしろ面白いのは、俳優名は確認しなかったけど、物理学者役。
キャラクターとして面白かったのに、彼も生かし切れなかった。
他にピーター・コヨーテなんかも久々に見たような気がするけど。
もう少し脚本がしっかりしていれば・・・
 とにかく、バリー・レヴィンソンは、SFは似合わない、
というのが本当のところじゃないのかな。「トイズ」のような
ファンタスティックな作品はどんなに貶されようと好きだけど。


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1998年06月18日

群衆の歓呼

ハワード・ホークス監督

 今月のWOWOWのクラシックスは感涙モノですね。ハワード・ホークスの
未見の初期作品がぞろぞろ登場。この調子でもうしばらく続けて貰えれば
いいのだけど。(WOWOWのおかげでビリー・ワイルダーはほぼ制覇できたし)
第一弾は先週の「赤ちゃん教育」だけど、未見でない作品はこれだけ、というのが
凄いでしょう)

 というわけで、「群衆の歓呼」。カー・レース物だけど、いわば晩期の「レッド
ライン5000」の大元となる作品。「レッドライン・・」については、昔、トム・
クルーズの「デイズ・オブ・サンダー」に失望した時、ちょうどTVKかなんか
で見れたこの作品がいかに面白いかを書いた覚えがあるけれど、この作品は
更に凄い。いや、勿論技術的には問題にならないだろうし、ストーリー的には
まさにいつものホークス的シンプルさ。
 偉大なチャンピオン・レーサーである兄に憧れて弟もレーサーを目指し、
弟の素質を見て兄は過剰な肩入れをし、自分の恋人のことはそっちのけ。
二人の関係を妬いた恋人は、兄と弟の中にひびを入れようと、友人に弟への
モーションを頼むが、それがうまくいきすぎて、弟は本物の恋人となり、
それに反対する兄と対立、二人の間に入った兄の親友は、二人のレースの
間に入って事故死してしまう。兄は精神的スランプで恋人の前から姿を
消し、弟は兄に替わってチャンピオンになる。恋人は兄を捜してレース場に
向かうが・・・・
 この映画のポイントは、一つに、レースの描写。単なるスクリーンプロセス
などと思うなかれ。それはみえみえなんだけど、その背景のすさまじさ。
まさにレースカーのホコリで顔は真っ黒、異様な迫力。逆にそんな凄さの
中で主人公達が目をこすったりする方がハンドル手を放して大丈夫なの
かよ、と思ってしまう。クラッシュ・シーンなんかもSFXでないリアリティ。
或いは、単に車と車をぶつければいいよ、なんて考え方とは根本的に違う
リアリティ。
 そしてもう一つ、この映画の最大の強みは勿論、ジェームズ・キャグニィが
主演していること。彼ゆえ、その弟に対する溺愛ぶりは、「白熱」のマザコン
演技を思い出し、弟のための恋人への冷たさ。顔を叩かれても動じない彼の
表情。そしてそんな彼が弟の栄光の影で、レース復帰もままならず、屈辱の
中で恋人の胸の中で泣くその涙。キャグニィは、まさに演技というよりも、
その仕草のリアリティで、映画に呼吸させる。
 この映画でも既に書いたように、あまりにも単純な、チャンピオンの
彼と、弟を溺愛する彼と、それの反動としての恋人への冷たさ、そして
落ちぶれた後の彼、それだけを見ればもう充分ではないか。

 そして映画の決着として、この後、ホークスは「赤い河」において、
争ってはならない二人(義理とはいえ父子)の確執を非常にうまく決着を
つけているが、今回もまた、当然の如く、この勝敗がついてはならない
兄弟の確執の決着を見事にさわやかにつけ、明るいオチでエンディング
としてくれる。欲を言うなら、父親の存在感がもう少しあってもいいかも
しれず、一方、ホークス映画にかかせない<相棒>が、ここでは悲しい
犠牲となるがしっかりと登場している。

 再び「レッドライン5000」を思い出せば、主要人物は多くなり、
男女関係も入り乱れる。なるほど、「群衆の歓呼」と「ハタリ」の
ミックスだな。そんな単純さでいいではないか。それだけで、どの
映画もこれだけ面白くなるならば。

 この後の放送予定。「無限の大空」(キャグニィの飛行機物)、
「虎鮫」「空軍」、といったところだったかな。これも参照無しの
記憶頼りなので間違っているかもしれません。


at 17:14|PermalinkComments(0) 映画 

1998年06月17日

黒の天使 Vol.1

石井隆監督

 これはやっぱり葉月里緒菜が悪いよ。他もいいとは言えないけど。
製作条件の悪さと、キャスティングの揃ったアンバランス、などは
表面感じるけれど、それを云えば、多分昔の方が条件は悪かった
のではないのかな。何となく、石井隆の映画作りへの慣れを悪い意味で
感じてしまう。それに常連はそれなり、一方で、抜擢された側が
期待されただけの力を出せていないというか。それは特に「GONIN2」
や「夜がまた来る」(タイトルうろ覚え)あたりから感じだしていたけど。
 今回の映画でも葉月の最悪はともかく、監督が望んだ高島礼子がノリきれて
いない。これは主役を葉月に取られたから、というわけじゃないだろうけど。
彼女がこれだけピンとこないとは、正直意外、というか、僕はこの女優さんは
「さまよえる脳髄」一本でシビれていただけだから、単なる勘違いかも
しれないけど。小野みゆき、という女優さんだけは、僕は正直気持ち悪いん
だけど、それが実に良いのですが・・・・
 映画としては、なんか完全にストーリーを追ってしまった感じかな。
場面設定として、既視感が有り過ぎたのもマイナス。高島の最初のアクションも
分かるんだけどもう一歩、それが墜ちた高島の演技になるともう一つ失望の
度合いが高くなり、葉月のアクションは論外。
 こうなると、なんか竹中のような気迫が欲しくなるね・・・・


at 17:16|PermalinkComments(0) 映画